お題:残念な許し 必須要素:三島由紀夫 制限時間:1時間 読者:17 人 文字数:3157字 評価:0人

静かな人と妖精
あーあ、と嘆きながら本の背表紙を撫でた。わたしからすれば等身大の大きさのそこに欠けがあったのだ。つい先ほど、迂闊にも棚から本を落としたせいだった。まじ粗忽。
図書館というこの素敵な場所の、素敵な本の立ち並ぶ、静謐かつ荘厳な威容に欠けが生じた。これがヘンクツな芸術家なら味があるとか非対称の美こそが東洋のウンヌンとか言うんだろうけど、わたしとしてはマイクラでブロックの色が一つだけ違うような気分だ。許しがたい。
だから、袖口から針と糸を取り出し、ふむん、と気合を入れた。もちろん、直すためだった。
さあ、こいつを、この本を、元の姿に戻してやろうではないか。

自己紹介が遅れた。まあ、けど、わたしに名前は無いので、言えることは少ないのだけれど。おそらく日本で1,2を争うほど有名な名無しのあの猫のように、今のわたしにも名前がない。何故と言えば、そもそも種族としての名前がないのだから、個体名としての名もまたないのだった。
たまに調べてみるけれど、図書館に住み着く妖精は、わたし以外にいまだ発生していない。
イギリスの古い家屋に住む妖精はシルキーと呼ばれる、なんだその名前かっこいい。だけど、そういうカタチの『名』がないのだ。
種族名、無し、個体名、無し、いつの間にやら図書館にて発生した妖精。それが、わたしだ。

図書館というのは、案外騒がしい。
暇な人が「おうおうタダかよタダか、いいじゃねえか」とばかりに無調法に入り込むからだ。いかに静けさと立ち並ぶ知の圧巻にて調教しようとも、そもそも通じない相手では効果も薄い。長版図鑑の美しさも、地域専門書物の地道ないじらしさも、跳ねるような冒険の小説も、文字を読むことを理解しない愚か者相手では分が悪いというもの。

くそう、ガキが、走り回ってんじゃねえよ。
駅から離れた、住宅地というのも少し半端な土地柄は、きっと安いというだけの理由で建てられた。ここまで来るようなガッツのある利用者は、近所の人か、さもなきゃ暇な人か、それ以外と相場が決まっている。

ふと目に留まったその人は、だから、そのカテゴリーで言えば三番目だった。
中肉中背の学生服姿。詰襟まできっちり止めている。いくらクーラーが効いているとはいえ暑くないのだろうか。学生は学校にいるべき時間だというのに、まるでここが学校だと言わんばかりに堂々と本を読んでいた。三島由紀夫。選択としては渋めでひねくれてる。
ここ最近の常連さんだった。
そして、密かにわたしのお気に入りさんでもある。
広い机で佇む様子が、本を読む姿が、他の誰よりも静かなのだった。ページを捲る音さえ、他の人よりちいさいんじゃないかと思える。
他の誰にも気づいてもらえない妖精というわたしと、それはどこか似ているように思えた。勝手で身勝手な親近感を、その学生に感じていた。
んー、どうにか一緒に妖精やってくれないかな。

妖精の丘で妖精たちが踊るように、妖精の図書館では妖精たちが静かに行儀よく読書をするのだ。その光景の中に、わたしと学生服もいる。きっと素敵だと思うのだけれど、知り合いの妖精は誰一人として賛同してくれなかった。ちくしょう。

わたしにもっと力があれば、ひっぱり込んでやれるのになあ、と思いながら、その静かな読書姿を見ていると、その足に、どん、とガキがぶつかった。割と勢いのいい突進で、学生が「お」と声を出した。密かにわたしの怒りゲージは上昇した。
一縷の望みをかけて保護者を見るけど、この図書館を幼稚園かなにかだと勘違いしているらしい母親はそれを一瞥してから、知らぬふりをしてた。おいおい。
……これ以上の無法が過ぎれば、滅多にいることもない館長に変わってわたしが色々してやるべきかと考える間に、その学生が自然な素振りで椅子を引き、腰を下げ、子供と視線を合わせた。
お、なんだい、なにをするつもりだい、と興味津々に見ていると、目があった、学生と。棚の奥、本と本の間に佇むわたしを、しっかりと捉えていた。
そして、その子供に囁いた、声は聞こえなかったけれど、くちびるの動きでわかった。

 騒ぐと、妖精が、君を攫うよ

だから気を付けて――
とかそんなことを言った。
学生の視線の先を辿った子供が、わたしをばっちり見たのが、わかった。
人間では不可能な狭い狭間に立ったわたし、暗がりの中で身を潜めていた妖精であるわたしは、期待に応えるべく、にぃいいい、と口裂け女よろしく巨大でアンバランスな笑みを作ってみた。きっと暗闇の奥に曲がった三日月型が描かれた。
とはいえ、こんなちっさい奴が脅したところで、たかが知れてると思ったけれど、案外効果はあったみたいだった。
そのお子様は、よろよろと後退し、やがて脱兎のごとく母親を呼びながら逃げていった。
遠くで迷惑そうに何があったかを問う母親の声と、ここ嫌だと騒ぐ子供の様子が聞こえた。

よし、と思わずガッツポーズを取った。
なるほど、ホラー展開で脅せばいいんだな、学生、お前やっぱいい奴だな。とってもいい方法を教えてくれた、ひゃっほぅ!

……さすがに、調子に乗り過ぎた。左右に揺れる動きのまま、本にぶつかってしまった。それは隣の本にまで衝撃を伝達させ、ぱた、ぱた、ぱたと倒してしまう。あ、あ、やば、折角なおしたのに!
妖精の糸で直した本は、その直後だとちょっとした衝撃でほどけてしまう。こんなちょっとしたドミノ倒しでも、威力としては十分すぎる。

「図書館では、静かに」

その伝達を止めたのは、学生服の手だった。
顔が間近にある。その手はわたしには無理な大きさで、破壊の連鎖を停止させていた。いつものように、とても静かに。

う、あ、とかわたしは、そんな呻き声しか出せない、おい、どうして頭が熱い、風邪か、妖精なのに風邪なのか。根性のあるウィルスいるな。

わたしの小さな手でも届きそうな距離にあった顔が、離れていく。また再び本を読むつもりだろう。
気づけば、わたしは訊いていた。

「これからも、あなたを読んでいて、いい?」

離れようとする顔が止まり、困惑に変わった。
たぶん意味がわからなかった。わたしも自分で言っていて意味がわからない。なんだ読んでいい、って。

「僕をこれからも観察したいってことか」

……おお、わたしにも理解できない言葉が、なんか伝わっていた。意図としては、きっとそういうことだ。わたしはそれが言いたかった。

困ったように学生は考え込んでいた。その気持ちは、わかる。わたしだって本を読んでいる最中に隣からじぃっと見られたら、嫌だ。
ああ、そうだよね、そうだよ、なに考えているんだわたし、これでも図書館の妖精のはずなのに。

「――」

学生は、未だに手で支えた先、その本を不思議そうに見た。
それは、実は学生服が落としてしまい、少しばかり傷をつけた本だった。
あんまりにも悲しそうで、あんまりにもすまなそうなだったから、普段はしない修復をわたしがしたのだった。

ちら、と私を見て。

 いいよ

とても静かに、いままでのどんな言葉よりも静謐に、空気を丸で震わせないほどおだやかに、そう言った。
耳に入った途端、これまでにないほど顔が発熱したため、わたしは急いで背後を向いて顔を隠した。なんだそれ、ずるい。というか、やばす。

同時に、とんでもなく残念な気持ちも、なぜかわたしの中に発生していた。
こんな許し、こんな自然で緩やかな言葉、もっと別の時に聞くべきだった。

ねえ、妖精になって?
いいよ――

絶対そんな風に聞くべき言葉だった。
ああ、もう、ああ――

身悶えするわたしの背後で、学生は変わらず静かに本を読んでいた。











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