お題:魅惑の土 必須要素:ゴキブリ 制限時間:2時間 読者:18 人 文字数:1962字
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地獄の穴
もう三十年前の話になる。
当時大学生だった私は山登りサークルに所属し、春夏秋冬問わずに山へ入ることが多かった。
その日もテスト明けの長期連休を迎えたと同時に数人のサークル仲間と地方の山を登った。

暑い夏の日だった。風はなく、青臭い山道を一歩一歩進む度に身体中の水分が消え去っていく。
途中、部長のムラカワが足を止めて後に続く我々の方に顔を向けた。目深に被った帽子の影はムラカワの瞳の色を隠している。
「おかしいと思わないか?」
私を含めた部員達は顔を見合わせて返事を探す。
山を知ってまだ日の浅い私には見当がつかない。
「この山、何もいない。鳥もトカゲも、蝶も蜂も。蚊にくわれた奴はいるか?」

しばらく進むと空が暗くなり、雨が降った。
予報などあてにならない山では別段珍しいものではないが、その雨の猛烈さといったら凶暴で、瞬く間に視界は限りなくゼロに近くなる。
私はパニックの中で足を滑らせ、傾斜を転げ落ちてしまった。

幸いにも木や岩に身を打つことなく怪我を負うことは避けられたが、私は完全に迷ってしまった。
雨が上がり、声を上げながら山中をさまよったが、木霊さえしない私の声に返事はなかった。
粗方の装備は転げ回った際に飛散したようで、方位磁針や地図など、窮地を救うものもない。
いよいよ遭難と死が過った時、拓けた場所に辿り着いた。中央には廃屋にも見える古民家が立ち、その周りを簡易的な畑が囲んでいた。
どこかで犬が吠えると古民家の戸が開き、老婆が顔を出した。

老婆はとても親切だった。
泥まみれの私を家に招き、湯へ浸からせてくれた。
そして縁側で茶とスイカを振舞ってくれたのだ。
正確な下山ルートを口頭で示してくれた後、眉を顰めた私を察してか、手描きの地図まで作ってくれた。それも驚くほど詳細なものだった。
逸れた仲間のことは一度下山してから捜索願いを出すよう指示された。
安否を気遣われているのは私の方だと笑い返すと和かな老婆の顔が硬いものになる。老婆は遠慮がちに口を開いた。

あんたは此処に来られて幸運なのさ。運良く道が逸れたのさ。この山はね、決して入ってはいけない山だよ。一度入ったら最後、無意識のうちに惹きつけられてしまうのさ。地獄穴にだよ。
あんた、此処に来るまで動物や虫は見たかね?
みんなみんな地獄穴に落ちちまったんだ。

空は眩しいほどの晴天に変わる。鎖を引き摺る音と犬の鳴き声だけが青空に消えていく。聞こえるはずの蝉の声は、ない。老婆は続けた。

最初に穴が見つかったのは八十年も前の冬の日だよ。村の猟師だった。水を入れたのなら鯉を数十匹は放せるほどの大きな穴をだったというよ。深さは健康な男なら出入りできる程らしい。
穴の底にはね、土が積もっていたそうだよ。
ただの土じゃない。いや、見た目はそこらにあるもの変わらないのだけど印象が違うのさ。
魅惑的と言ってしまえば簡単だが、とにかく心を壊してしまう妖気を放っていたそうさ。猟師は無我夢中で穴に下りた。寝転がり、身体中に塗りたくり、口に含み、終いには土にまた穴を掘って自分を埋めた。
その猟師?帰ってくるもんか。それから何人もの村人が消えた。本当は埋まっているだけだけど。
春になれば穴は動物と虫に埋め尽くされた。
なぁあんた。その穴は今、どうなっていると思う?
このぼろ家を見ておくれよ。害虫と暮らしているみたいだろう。ところがこの家にそんなもんいない。
みんな穴の中さ。穴の中で入ってくる生き物の死骸を食らって暮らしている。もう土なんか見えやしないよ。ゴキブリってのは生命力が桁違いだからね。
あんたは本当に幸運なのだよ。一歩違えば魅惑の土に引き寄せられて、気付いたらゴキブリの餌だったからな。あんたのお仲間、手遅れにならなきゃいいんだけどね。

私は老婆の地図を頼りに下山した。
もちろん、老婆の気味の悪い話など信じていない。
まずどうして誰も帰ってこれないのに地獄の穴なるものの存在を知ることができる?一体誰が伝えたというのか。
それじゃ仮に地獄の穴が実在するとして何故老婆は無事なのだ? 馬鹿馬鹿しい。

ムラカワを含めたサークル一行は結局帰ってこなかった。捜索のために入山した大半の救助隊も行方不明になった。一部帰還した隊員達は口々に老婆に会ったと言った。

やがて時が経ち、大地震が起こり、直後に台風がやってきた。山は大規模な地滑りを起こし、崩壊した。散乱した木や土砂の撤去には一年半を要し、山の一部はトラックに乗せられ散り散りになる。

私はね、定年間近になってこの家を建てました。
拘ったのは家の造りよりもこの庭です。
松の木、池、そして良い土でしょう。
まだ築年数の浅い家が害虫駆除を依頼するのはやはり稀な話ですか?

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