お題:箱の中の過ち 必須要素:パン 制限時間:1時間 読者:28 人 文字数:1997字 評価:1人

師匠の難題
ごめんなさい、できませんでした――
入口で弟子がそう泣きながら謝ってきた。私としてはただ困惑するより他にない。

「いったいどうしたんだい? 君にとってはもう、簡単なことだろう?」

そう優しく問いかけてもしゃくりを上げるばかりで、一向に答えは出て来ない。こんなことは初めてだ。
最初から随分と優秀な弟子だったけれど、ここに来て、この最後のテストになって、なんと初めて躓いた。

困惑するけれども、同時に安堵もしていた。
一を教えれば十どころか百を知り、新たな一を創造するような弟子であっただけに、これまで師匠である私の出来ることなどたかが知れていた。それこそマニュアル本の一冊でもあれば良かったのではないかと常々思っていたのだが、ようやく師匠面できそうな出来事が起きたわけだ。

「とりあえず、メシにしようか」

とはいえ、すぐに答えが出そうな問題でもない。
こんな時に考え込んでも、ろくな結論など出はしない。
私はいつものように弟子の手を引いて、キッチンへと向かう。
項垂れた弟子はトボトボと付いてきた。


弟子はもそもそとパンを食べる。
まるで陰気なハムスターか、隠居した老人のようだ。
実に不味そうな食い方だなと、いつも思う。

惜しむように食べては、時折私の方を窺う。これも弟子の癖だった。
そのたびに、別にお前のを取りはしないよと言い、その度に弟子はそっぽを向くのだが、今回はいつもと違い、涙の引かない顔のまま、ようやくのように問いかけてきた。

「どうして師匠は、そんなに不味そうに食べるのですか?」

……どうやら、弟子の食い方は私のマネであったらしい。
自分のことはなかなか分からないものだ。

お前の師匠の師匠の癖が移ったのだろう、と言っておいた。


簡単な食事を済ませ、リビングにてリラックスした体勢で座る。今日一日、ほとんどこの恰好で過ごしたなと思う。部屋の隅では弟子が所在無げに体育座りをしている。

しかし、原因は一体、なんだろう?
いったい私はなにを誤ったのだろう。
理由があって、弟子はこうなったはずだ。

技術的な部分ではない。もっとずっと難しい相手にも成功させていた。今回のような躊躇いなどまったくの皆無で、ひょっとしてこの弟子は中身まで機械で出来ているのではないかと疑ったくらいだ。
だというのに、どうしてこの最終試験に限って?

むむむと唸る。
正直、とっかかりとなるものがまるで見えなかった。
常々分からないと思っていた弟子だが、ここにきてわからないの難易度が跳ね上がっていた。

椅子の背もたれに体重を預け、上を見る。
喉元を晒すまったく無様な姿だが、今この時であれば許される。

考えてみれば、そう、私のときは、どうだったろうか?
最終試験、私はどのようにしていただろうか?

ごく正直に言えば、あまり覚えていなかった、ただ我武者羅に、余計なことなど考えず、必死に行った。
私という人間は、あまり出来のいい弟子ではなかったのだ。
けれど、最後の、師匠の浮かべた嬉しそうな笑顔だけは、とてもよく覚えている。

「なあ」

私は問いかける。

「暗殺者になるのが、本当は嫌なのか?」

どのようなターゲットでも完全に成功させた弟子に訊く。
答えは、悄然としたままの首振りだった。

どうやら、嫌ではないらしい。
この『箱』と呼ばれる機関におけるカリキュラムを嫌がっているわけではないようだ。

「なら、一体どうして……」
「師匠は――」

弟子は、どこか思いつめた様子で。

「師匠は、そんなにも、私に殺されたいのですか?」

そんなことを聞いてきた。
それが、今回の最終試験の内容だった。
実に簡単で、分かりやすい試験だ。

私としては、本当にただ困惑するより他にない。

「当然だろう」

だから、素直に気持ちを言う。

「育て上げた傑作に息の根を止められる以上の名誉など、滅多にない」
「本当に……?」
「ああ、嘘など言わない、一度だって言ったことなどなかっただろう」
「……」

弟子は、私を黙って見上げていたが、やがてボタボタと涙を流し始めた。
慌ててハンカチでその涙を拭うが、一向に止まる気配がない。

ああ、本当に、どうして……?

今日一日、私はワクワクしながら過ごしていたのだ。
弟子はどのような方法を取るのか、どのようにこちらの意識の間隙を潜り抜けるのか、その創意工夫は、技術は、意志は、一体なにか。
ことが終われば、きっと私の師匠が浮かべたような最高の笑顔で、弟子を褒め称えてやると決めていたのだ。

だというのに、結果は今のように泣きながら『箱』へと戻って来た弟子の姿だけを見ることになった。

――いったい、何を間違えたんだろう?

弟子の背中をぽんぽんと叩き、大丈夫だと繰り返し言いながら、私はこの難題に頭を悩ませた。
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