お題:箱の中の過ち 必須要素:パン 制限時間:1時間 読者:21 人 文字数:931字 評価:0人

うちが一番
「明日の朝ごはんはパンがいいな」
 夕食後のお茶をすすりながら夫が言う。珍しいこともあるものだ。
 お見合い結婚をしてもう数十年。食にこだわりのない夫は、わたしの出す食事に文句をつけるどころかリクエストをしたこともない。いつも出される食事をニコニコと美味しそうに食べるだけなのに。
「朝ごはんにパンなんてだめ。元気がでないわよ」
 そう。元気なんて出ないのだ。
「そうかい。たまにはパンなんてのも軽めでいいかなと思ったんだけどなあ」
「……どうしてもって言うなら」
「いや、いいんだ。なんとなくそう思っただけで、どうしてもって程じゃないし」
「軽めがいいならお粥なんでどう? 茶粥なんてさっぱりしてそう」
「ああ、いいね。そういえば、むかし、奈良に旅行に行ったね。あのときの朝食は茶粥だったなあ」
「そうだったかしら」
「忘れちゃったのかい。もうずいぶん前のことだからねえ。でも僕はちゃんと覚えているよ」
「あなた、記憶力がいいものね」
 本当にこの人はどんな些細な出来事でも覚えているのだ。ただひとつを除いては。
 もともと和食党だったわたし。朝ごはんにパンを出すことは多くはなかった。でもいまのようになにがなんでも和食でもなかった。あるときから朝ごはんにパンを出すことを止めた。そしてそれはあまりにも些細な変化で夫は気づいていない――はずだ。
 あれは結婚して数年後のことだった。なんの用だったか、地元に戻ったことがあった。思い出すこともできないほどつまらない用事。でもそんな理由をこじつけてでも戻りたかったのだけは覚えている。そしてわたしは夫ではない人とモーニングを食べた。たった一度だけ。
 その人はわたしがお見合い結婚する原因だった。
 すべて思惑通り進み、わたしは満足するはずだった。それなのに、わたしはそのモーニングの味気無さに衝撃を受けた。
 わたしの心はとうに新しい生活に軸足を置いていたのに、気持ちだけが過去に囚われていた。どうして過ちをおかす前に気づかなかったのか。後悔を心の奥の奥の奥の小箱に詰めて鍵をかけた。
「茶粥の話をしたらまた旅行に行きたくなったねえ」
「そう? お茶おかわりする?」
「お願いするよ」
 いつも通りの夜が更ける。
作者にコメント

対戦作品一覧


ユーザーアイコン
作者:雨宮ヤスミ お題:箱の中の過ち 必須要素:パン 制限時間:1時間 読者:46 人 文字数:2887字 評価:4人
あいつが死んだ。 人間あっけないものだな、と黒い服を着たわたしは思う。 椅子に座した大人たちは、好き勝手何かしゃべっている。後ろに行くほどその度合いは高く、前 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:inout お題:箱の中の過ち 必須要素:パン 制限時間:1時間 読者:27 人 文字数:1997字 評価:1人
ごめんなさい、できませんでした――入口で弟子がそう泣きながら謝ってきた。私としてはただ困惑するより他にない。「いったいどうしたんだい? 君にとってはもう、簡単な 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:和委志千雅 お題:箱の中の過ち 必須要素:パン 制限時間:1時間 読者:26 人 文字数:2173字 評価:0人
和室のなんていうのか知らないけども、ちょっと高くなっている場所がある。あの巻物とか垂らしておく場所、で、生け花とか、置物とか置いておく場所、あそこ。なんで高くな 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:にい お題:箱の中の過ち 必須要素:パン 制限時間:1時間 読者:23 人 文字数:2713字 評価:0人
見上げると四角く切り取られた青空から、燦々と太陽が照っていた。めずらしい晴天だ。太陽がふたつ、そのうち片方は失敗した目玉焼きみたいにその形を崩しているが、頼り 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:恵利文萌 お題:箱の中の過ち 必須要素:パン 制限時間:1時間 読者:21 人 文字数:931字 評価:0人
「明日の朝ごはんはパンがいいな」 夕食後のお茶をすすりながら夫が言う。珍しいこともあるものだ。 お見合い結婚をしてもう数十年。食にこだわりのない夫は、わたしの出 〈続きを読む〉


ユーザーアイコン
作者:ウルス(文芸部アカ) お題:箱の中の過ち 必須要素:パン 制限時間:1時間 読者:19 人 文字数:2503字 評価:0人
吾輩は猫である。名前は一応ある。 某文学作品の冒頭のパロディーだが、単に事実を述べただけである。 その名も「シュレディンガーの猫」である。 量子論などをきちん 〈続きを読む〉

恵利文萌の即興 小説


ユーザーアイコン
作者:恵利文萌 お題:わたしの好きな死刑囚 制限時間:15分 読者:11 人 文字数:374字
死をもって贖うべき罪はこの世から消えてなくならない。 だが、神ならざる人の身で正しい裁きは行えない。 間違った裁きを正そうとしても、死んでしまった罪人を蘇らせ 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:恵利文萌 お題:理想的な過ち 制限時間:15分 読者:7 人 文字数:442字
神が人間を作り出した。 その神話が正しいのか、正しくないのか、幾分かは真実を含んでいるのか、いないのか、それは分からない。 ただ、もしもそれが本当なら、神は万 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:恵利文萌 お題:茶色い本 制限時間:15分 読者:11 人 文字数:312字
独り身の気楽さで、全国津々浦々転勤で住まいを移る生活を続けて十数年。 慣れた荷ほどきの最中に古びた本を見つけた。 古びて湿気を吸った紙はごわつき、ところどころ 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:恵利文萌 お題:箱の中の過ち 必須要素:パン 制限時間:1時間 読者:21 人 文字数:931字 評価:0人
「明日の朝ごはんはパンがいいな」 夕食後のお茶をすすりながら夫が言う。珍しいこともあるものだ。 お見合い結婚をしてもう数十年。食にこだわりのない夫は、わたしの出 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:恵利文萌 お題:ワイルドな音楽 制限時間:15分 読者:19 人 文字数:290字
ゆりかごの中の記憶があるというとみんな少し困った顔をする。それからそれを隠すように笑みを浮かべ「さすがは賢王の血を引く王太子様」と頭を垂れる。 慇懃無礼。 宮 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:恵利文萌 お題:鈍い僕 制限時間:15分 読者:17 人 文字数:691字
つき合い出して数年。お互いの家の鍵は持っていた。「なんで? 失くしてないよ?」 差し出された鍵に僕は首を傾げた。「俺、引っ越しするっていったよね?」「ああ、新 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:恵利文萌 お題:今度の善 制限時間:15分 読者:19 人 文字数:567字
「ダメですね」 僕の頭の輪っかから手を離した天使長様がため息をつかれた。「えー……」「何度も言いますが、良い事とは無心で行うから良い事なのですよ」「でもあの人間 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:恵利文萌 お題:うわ・・・私の年収、魔物 制限時間:15分 読者:20 人 文字数:577字
ある雨の夜だった。 連日の残業。終電を逃した私は乗り換え駅で途方に暮れていた。 こんなことなら今日も会社に泊まれば良かった。 腕時計に目をやれば、もうすぐ深夜 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:恵利文萌 お題:せつない食卓 必須要素:チョイ役 制限時間:1時間 読者:22 人 文字数:992字 評価:0人
失恋したからパーティでもして憂さを晴らしたい。 そうやって呼び出されるのはいつものこと。恋多き男の恋愛遍歴を知る友人Aとしては呼ばれれば駆け付ける。駆け付けた 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:恵利文萌 お題:俺と税理士 制限時間:15分 読者:19 人 文字数:519字
元地主だかなんだか知らないが俺の家は無駄に広い。それにプラスして二束三文の山と田畑。これを維持していくにはサラリーマンの収入ではなかなか苦しいものがある。「今 〈続きを読む〉