お題:箱の中の過ち 必須要素:パン 制限時間:1時間 読者:47 人 文字数:2887字 評価:4人

セックスしても出られない場所で
 あいつが死んだ。
 人間あっけないものだな、と黒い服を着たわたしは思う。
 椅子に座した大人たちは、好き勝手何かしゃべっている。後ろに行くほどその度合いは高く、前に行くほど湿っぽく霞んだ。
 葬式の席の距離は故人との距離なのだと、そんなことを最前列で乾いた頬で考えながら、その内にこの儀式は終わった。
「どうするの、美輪子?」
 久しぶりに会った母は黒い喪服姿で目を腫らしていた。自分の弟が死んだのだから当たり前かもしれないが、わたしの眼には異様に映った。
「わたし達と、一緒に住む?」
 「みなさんには、明るい未来が待っています」。中学の卒業式で校長が口走った言葉だ。実母の言葉のはずなのに、それと同じくらいに軽く現実味のない提案だ。
「あの部屋はあの人のだから、名義を書き換えればそのまま住めるけど……」
 こちらの方を選んでほしいのだろう。母の提案はいつも、後の方がそれなのだ。
 だから、いつもわたしはそちらを選ぶ。
 母が前の男と別れた時も、同じ選択をしたように。


 あいつは血縁上は叔父だった。おじさん、と呼んだことは一度もない。あいつは自分を、わたしに名前で呼んで欲しがった。
 わたしの母の弟で、母とあいつは5歳違い。だから、正に親と子ほどに離れている。
 けれど、その関係は叔父と姪のものなんかではなかった。
 あいつはわたしの体を求めた。年を経るごとに、自分の姉とそっくりに育っていくわたしを、ベッドの上で抱き伏せて、体を開かせる。
 母はそれを見ないふりをした。絶対に知っていたはずなのに、見ないふりをしていた。
 あまつさえ、自分は別の男の下に組み伏されて、その男と暮らすようになった。
 それからは、ずっとタワーマンションの高い箱の中で、わたしはあいつと二人きりになった。
 地獄のような生活も、しかし長くは続かない。
 あいつは死んだ。
 人間あっけないものだな、と大きなベッドの上でパジャマを着たまま、わたしは空いたスペースにあいつの影を重ねてしまう。
 ベッドの横の窓のカーテンをいっぱいに開ける。朝日はわたしにはまぶしすぎて、溶けてしまうような錯覚を覚える。
 あいつが死んでから一か月。わたしは一人のベッドに慣れずにいた。


「茨木、最近どうだ?」
 ふいに声をかけられて、わたしは肩を震わせてしまった。
「ハハハ、そんなにびっくりするなよ」
 ごめんごめん、と謝る若い男。わたしのクラスの副担任だ。
 あいつが生きていた頃言っていたことによれば、昔は一クラスに担任は一人しかいなかった。今よりも子供の数が多かったのに、きっと当時は大変だったに違いない。
(教師の力が落ちたからだよ、あいつら社会を知らないから――)
 あいつの言葉なんて捨ててしまえばいいのに、しみついたそれは気付けばわたしの一部になってしまっていて、だからわたしは「教師」というものから知らず知らず距離を置いていた。
「いやさ、いつも授業中寝てるって話だけどさ、最近は特に疲れてるみたいだから……」
「はい」
「おじさんが亡くなって、ショックを受けてるんだろう?」
「はい」
「でも、あんまり思い詰めるなよ」
「はい」
 わたしの返事は決まって2文字だ。2文字の返事は短いが、距離は遠いものなのだ。
「何かあったら、何でも相談に乗るからな。先生は、茨木の味方だから」
「……」
 何でも? すっと入ってきたそれに、わたしの口は動かなくなる。
「茨木?」
「はい」
 反応がないことを不審に思ったのか、副担任はいぶかしげにわたしをまじまじと見た。それをいいことに、わたしもこの男のことを初めてまじまじと見返した。
 大学を出て三年目。25歳。すらりとした長身で、顔はまあまあ悪くない。あいつに比べれば8歳ほど若いが、同じくらいに体毛が濃そうだ。体毛が濃いということは性欲が強いということ――ああ、これもあいつが残した色素の沈着――。
「あの……」
 わたしは初めて、3文字以上を口にする気になった。
「本当に、何でも相談に乗ってくれますか?」


 外はとっぷりと暮れていた。
 この高い箱から見下ろす景色が、あいつは好きだった。
 株で一山あてたあいつは、すでに人生は上りで、これからの一生はすべてエンドロールの出来事だと思っているようだった。
 だから、早くに死んでしまうのだ。このわたしを置いて。消えない色をわたしの中に遺して。
「茨木……」
 暗闇の中で振り返ると、今夜はあいつじゃない人が隣にいた。教室で見るより素敵ですよ。でも、胸毛は処理してほしくなかったなあ、なんて。
「カーテン、開けないでくれ……」
「誰も見てやしないですよ」
 わたしは夜景を背景に裸の体を男に向ける。男は、一つことを終えて汗ばんだわたしの体から目を背けた。
「しっかり見てくださいよ、先生」
 わたしはベッドの上で膝立ちになって両腕を広げた。
「あんたが抱いた女ですよ、先生」
「茨木」
「わたしのことを見てくださいよ、先生。相談に乗ってくれるんでしょ?」
「先生っていうのやめてくれないか!」
 クラスで男子がふざけすぎた時よりも、大きな声だった。怒鳴りつけて、クソォ、と頭を抱える男をわたしはじっと見下ろす。
「どうしてこんなことになったんだよ……」
「後悔するなら、どうしてここまで来ちゃったんですか、先生」
 男は大きなため息をついて、改めてわたしの顔を見上げた。
「茨木」
「何ですか?」
「もうやめよう」
「何をですか?」
「こういう関係だよ」
 わたしは吹き出した。
「一回きりなら、過ちで通じましたよ。でも、何回目ですか、これで?」
 男は目を背けた。「あぁー……」とお決まりの情けない声でまた頭を抱えた。
 何回目ですか、と問いながらわたしはしっかり数えていた。
 相談事があると家に連れ込んでから一か月、実に四回だ。わたしは一か月で四日分だけ、少し深い眠りにつくことができていた。
「茨木……」
「何ですか?」
 最近は、五文字くらいで応答することが多くなった。わたしもおしゃべりになったものだ。
「お前、似てるんだよ……」
 それから男は、全裸の自分の教え子の横で別の女の話を始めた。
「小学生の時にさ、不登校になった子がいたんだよ。俺はその子と家が近くてさ。毎日パンとプリントを届けてやってた……」
 その子のことが、少し好きだったのだろう。わたしはそう思って聞いていた。
「おんなじ目をしてたよ、あの時、『相談事がある』って言った時の茨木は……」
「今は?」
 え、と男は顔を上げたので、わたしは彼の体をまたいでその顔と顔を突き合わせる。
「今は、おんなじ目をしていますか?」
「……もっと、飢えた目をしているよ。満たされない、空っぽの、底抜けの、何も入らない目をしているように見える」
 わかったような口をきいて、男はそれをすぼめて近づけてくる。わたしはそれを押し返して暗い窓をのぞいた。
 夜景と重なったその目は、夜の色よりもうつろに見えた。
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