お題:名付けるならばそれは誤解 制限時間:2時間 読者:22 人 文字数:1947字

博愛転じて恋と為す
 長い髪をしな垂れさせて彼女は微かに鼻で笑った。寝起きでも彼女は変わらずに美しい。僕もベットから体を起こし、まだ微かにぼんやりとしている彼女の顔を見つめる。僕らは恋人ではない。ましてやパートナーでもない。ただ、僕は彼女のことを愛していて、彼女は僕を愛してくれない。その縁で僕らは共に暮らしている。
 彼女はいわばアセクシャル、無性愛者。要するに性的欲求も恋愛感情も持たない人だ。彼女の「愛している」の前には「人間的に」という言葉が隠れているし、ある程度親しくなれば誰の頬にもキスをする。彼女にとってみればそれは親が子供に与えるような思いを篭めているだけなのだろうけれど、もう成人になってしまったノーマルの僕は(正確には僕「たち」なのだけれど)見事に勘違いをしてしまった。
 そもそも、彼女はその態度のせいでよく勘違いをさせ易い人だ。最初は酷い人見知りで、無口で無表情、おまけにミサンドリストでもある。その所為でまるで氷の女王であるかのように冷酷であると思われがちだ。でも、本当の彼女は麗らかな春の木漏れ日のように優しい人だと僕だけが知っている(と、きっと沢山の人が思っている)。
 時間を掛けて仲良くなれば彼女はよく笑う人だと知るだろう。彼女の小粋なジョークを聞いて、その頭の良さに思わず呻る日が来ることを知るだろう。そして時間を掛けて互いをよく知り合えば、彼女は自分を「男」としてでなく、一人の「人間」として見てくれることを知るだろう。彼女のボディタッチの触れ方の優しさを、一つ一つの言葉を選ぶときの丁寧さを、そして頬にキスをされるその瞬間に、いつしか胸が高鳴るようになっていたことを知るだろう。そして最後に、その関係は、僕らが「性愛」を見せたその瞬間に崩れ去っていくことを知るんだ。
 彼女は性愛を持たない。彼女は恋愛感情を持たない。だから、彼女の持ちえる限りの親愛の術を僕らが性的に片付けようとしたとき、彼女は僕らともう友人でいられなくなったことにようやく気づくんだ。相手が例え男でも、女でも、どちらでもなくても。
「おはよう」
 彼女の瞳が僕の視線を絡め取って離さない。この瞳に写る僕はまるで恋する乙女、ティーンエイジャー、ロミオを想うジュリエット。それでも彼女は気づかない。僕らにとって当たり前なこの記号は、彼女にとっては抽象絵画そのものなのだ。
 僕のジェンダーは歪で、人に理解され難い。そんな僕の人生の悩みを彼女は笑い飛ばしたんだ。「私からすれば、君たちは全員同じなのに」と。
「おはよう」
 僕は彼女の頬に頬を摺り寄せる。これが僕に許された最上限の愛の示し。彼女は好意に鈍感だ。だけど、性的に思われる事には敏感だ。女性性という先天的な鎖が他者からの性愛という歯車で彼女を締め上げるその痛みを、好意を寄せていない相手から向けられたその感情の不快さを、彼女は誰よりもよく知っている。だからきっと気付いてしまう。僕の唇が頬に触れた瞬間に、僕が思う以上に、僕が彼女を想っていることに。
 彼女は僕をそっと抱きしめる。ペットの猫や犬にするみたいに、そっと頭を抱き寄せて囁く。
「君は、ずっと私の友人でいてくれる。本当にありがとう」
 その優しい言葉は僕の心のやわらかいところへ突き刺さって、僕は悲鳴を上げたくなった。
 あぁ、ちがうんだ。ちがうんだよ!僕は君の思うような聖人君主じゃない!君を想い、君の知らないうちに君で耽るような、ただの浅ましい普通の人間なんだ!叶うならこのまま君を抱きしめて、白いシーツの海に倒れこんで、この叶わぬ想いをすべて君の中に吐き出してしまいたいんだ。
 愛と性愛の狭間で揺れる僕を知ってか知らずか、彼女は愛おしそうに言葉を紡ぐ。
「今日、酷い夢を見たんだ……君がいなくなる夢だ。私に愛を告げて、私が応えられないというと、もういいと言って去っていってしまうんだ。今までの人たちのように」
 彼女が僕の髪に指を通す。何度も、何度も、存在を確かめるように。
「私は今まで沢山理解しようとしてきた。でも、駄目だった。よくわからないんだ。愛というものが。……でも、皆私にそれを押し付けてくる。押し付けて、受け取れないと言えば立ち去ってしまう。どうして?私は、みんなと仲良くしていたいだけなのに」
 彼女はまた僕の頭をそっと抱きしめる。震える僕の吐息に気が付かないまま、または、気づかないふりをしながら、優しく、優しく抱え込むようにして抱きしめる。
「でも、君は違う。私を理解してくれる。私の友人でい続けてくれる」
 彼女は僕の頬にキスをする。最上限の友愛を示した、柔らかな真綿。
 背中で絡められた指を感じて、僕は、この関係をどうすれば壊さずにいられるかを考えていた。
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