お題:茶色い幻覚 必須要素:イタリア 制限時間:1時間 読者:34 人 文字数:3003字 評価:1人

おやつタイム
 先日の人間ドックで血糖値の高さを指摘されてから、甘い物禁止令が職場に発令された。同僚と揃って同じ結果を出たのが上司に知られたのだ。客が差し入れる菓子折りの箱がデスクには積み上がっており、仕事をするよりおやつを食べている時間のほうが多い、休憩時間ともなれば、すこしでも減ったおやつを補充しようとコンビニやスーパーに走る、そんな惨状をどうにか改善しようと、上司としてついに重い腰をあげたというわけだ。
「おやつは一日三度まで! このルールを破ったものはクビだ!」
「えー」
 職場における甘党率は、イタリアにおけるカトリックの占める割合くらいのもの。つまり大多数が不満の声をあげた。
 甘い物好きとしては並のレベルではないと自負する僕も、これには黙っていられない。みんなを代表して異議を唱えることにした。
「質問です! 一日三度とは言いますが、十時と三時のおやつはいいとして、残り一回はいつになるのでしょう!」
「夕方四時のおやつだ」
「三時のおやつから一時間も空いてなくて、バランスが悪いと思います!」
 挙手をして大声で言うと、そうだそうだ、とみんなから同意する声があがった。
「うるさい、私は夕方ごろに夕食が待ちきれなくてお腹が空くんだ、文句あるか」
「そんなの課長の都合じゃないですか。大体、一日に三度なんて全然足りません」
「だがこのままでは確実にこの課の全員が糖尿になる。糖尿はこわいんだぞ。症例なんて聞いてみたらびびって腰抜かすぞ」
 僕は上司と睨み合った。緊迫した雰囲気のなか、視界の隅で同僚のひとりが、菓子箱からドーナツをそっと抜き取るのを捉えた。
 上司が奇声を発してとびかかり、ドーナツを奪い取って窓の外に放り投げた。ゴールデンチョコレートは黄色い粒を振りまきながら、雑踏に落下していった。
 がっくり膝をついた同僚を横目に、上司が怒鳴り散らした。
「ええい、甘い物のことしか頭にない無能どもめ、異議のあるやつはいますぐ出て行け!」
 僕らは顔を見交わし、うなずき合うと、一斉に荷物をまとめはじめた。甘党の結束力を舐めてはいけない。上司をハブってケーキバイキングに行くくらいお手の物だ。
 午後の業務もあるので今去られては困る上司は、すぐさま態度を変えて泣きついてきた。
「悪かった、言い過ぎた。まじめな話、甘い物ばっか食べ過ぎて営業成績が落ちてるのも事実なんだ。私の昇進もかかってるし、黙っていたが来月までに結果を出さないとお前ら全員減給なんだ」
「どうしてそんな大事なことを黙っていたんです」
「私だって甘い物が好きだからだ。仕事なんてしないで、ずっとどら焼きとかきんつばとか食べていたかった。でも、それじゃ駄目なんだ。おやつと違って、社会はなにもしない奴を認めてくれるほど、甘くはないんだよ……」
 上司の必死の訴えはみんなの心に響いた。ひとまず来月まで、という限定つきで、甘い物禁止令を実践して、まじめに仕事をしようじゃないかという結論に至った。

 オフィスから菓子類は一層された。まだ食べていない菓子は、近所の公園で遊んでいた子供に配ってきた。おやつのなくなった職場はがらんとして、必要最低限のものだけが置かれたデスクのうえは、まるで仕事をするためだけの場所のようだった。
「そういえば、職場って仕事をするための場所だったな」
 しみじみ気づいて、さて、久しぶりに仕事でもするか、と各々の席についた。
 禁断症状が最初にあらわれたのは、あの日ドーナツをこっそり食おうとした同僚だった。彼の大好物はチョコレートで、一日に板チョコを20枚消費しないと死ぬと冗談交じりに話していた。今、彼はチョコレートの女神を幻視して、跪いて虚空に両手を掲げている。
「褐色の美女が俺のまえに降臨なされた。慈悲深き顔で、私をお食べなさいとおっしゃっている。課長、女神の胸に抱かれに行ってもよいですか」
「やめておきなさい」
 課長が冷たく言ったが、同僚は聞く耳を持たなかった。奇声を発して虚空に抱きつくと、泡をふきながら白目を剥いて床に転がった。夢のなかで、思う存分、大好物を貪っているのだろう。
「お茶です」
 同僚の女の子が僕の席まできて、湯呑を置いていった。礼を言って口をつけると、味がしない。透明な液体が湯気を立てている。
「お湯なんだけど……」
「不満があるなら、自分で淹れれば?」
 つっけんどんに言って、お盆を僕の顔面に投げつけ、怒ったまま行ってしまう。職場の女の子がみんな生理中並みにイライラしている。甘い物を食べていないせいで、ストレスが溜まっているのだ。男は全員なにがしかの幻覚を見て失神しているし、給湯室では、女同士で掴み合いの喧嘩をしている物音が聞こえてくる。職場は殺伐としていた。それもこれも、甘党から甘い物を取り上げたせいだ。
 できあがった資料を持って、課長の席に行った。
「それにしても、課長はさすがですね。なにか手を打ってるんですか」
 僕はかろうじてガムを噛み続けることで理性を保っていた。とっくに味のしなくなったキシリトールガムに、甘い風味を想像することなんとか欲求を補っている。
「なに、社会経験の差というやつだ。自制心があるんだよ」
「課長、なんか口動いてませんか」
「動いてない」
「口の端に食べかすついてますよ」
 反射的に課長が口をぬぐった。その拍子にシャツの懐から食べかけの最中がぽろりとこぼれ落ちた。最中は和菓子好きの課長の大好物だ。
 そのときの僕の形相は、鬼のようだっただろう。
「おい……言い出しっぺが隠れてなにを食ってる……」
「これはその、もなかではない。消しゴムだ」
 下手な言い訳をする課長の首に手をかけた。甘い物禁止令のせいで、苛ついているのは僕だって同じだ。理性のたがも外れやすい。オフィスでは死屍累々と横たわった奴らが、ぶつぶつうわ言をつぶやき、湯呑やお盆や、引きちぎられた髪の毛が宙を飛び交う。課長の最中に気づいた連中が、手に手に備品のカッターナイフを持ってゾンビのように迫りつつあった。
 おやつのなくなった職場は地獄絵図と化していた。
「あの、すみません……」
 遠慮がちな声が戸口からしたのは、そのときだった。子連れのママさんたちが、紙袋を提げて部屋を覗き込んでいる。
「子供たちにお菓子を配ってくれたと聞いて、お礼に伺ったのですが。これ、つまらないものですが、みなさんで召し上がってください」
 死にかけていた課長がかっと目を開いて息を吹き返した。失神していた同僚がむくりと起き上がった。つかみ合っていた女同士は、向き直って服装と髪を整えた。
 僕はガムを吐き出し、テッシュに包んで捨てた。
「おやつですか」
 代表で僕が聞くと、ママさんたちは戸惑いながらうなずいた。
「はあ、ずいぶんたくさんのお菓子をいただいたようで。いろいろ持ってきたんです。和菓子とか、チョコレートとか」
 職場ににわかに活気が戻ってきたようだった。仕事道具を片付け、デスクを空けた。お皿を用意し、お茶を淹れた。「おやつの時間にしよう」といつになくうきうきと課長が号令をかけ、ママさんを招いてみんなでお菓子を囲んだ。
 平和な雰囲気がそこにはあった。
「適度なストレス解消は必要だな」
 課長が言って、甘党の全員がそれに同意した。




作者にコメント

対戦作品一覧


ユーザーアイコン
作者:にい お題:茶色い幻覚 必須要素:イタリア 制限時間:1時間 読者:34 人 文字数:3003字 評価:1人
先日の人間ドックで血糖値の高さを指摘されてから、甘い物禁止令が職場に発令された。同僚と揃って同じ結果を出たのが上司に知られたのだ。客が差し入れる菓子折りの箱が 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:inout お題:茶色い幻覚 必須要素:イタリア 制限時間:1時間 読者:31 人 文字数:3111字 評価:1人
スーツケースを片手に電車内に一歩入り込んだ途端、茶色の景色が広がった。野球場だった。中腰の、すぐに動ける体勢から、私はそのグラウンドを見た。守備側、バッターがキ 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:和委志千雅 お題:茶色い幻覚 必須要素:イタリア 制限時間:1時間 読者:24 人 文字数:2404字 評価:0人
「茶色・・・オレンジ色かな?はじめはそういう感じに見えた」国際興業バスに乗っていると、そういう話が聞こえてきた。後ろから。普通の感じの会話だ。聞くこともなかった 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:こっころ お題:茶色い幻覚 必須要素:イタリア 制限時間:1時間 読者:25 人 文字数:1326字 評価:0人
正体不明の小堤が届いた。宛先は俺、送り主も俺。というかアマゾンで買っていたようだ。片手では持てないが両手なら持てる位のサイズだった。実際持ってみると意外に重い。 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:ウルス(文芸部アカ) お題:茶色い幻覚 必須要素:イタリア 制限時間:1時間 読者:20 人 文字数:2381字 評価:0人
「『ブラウン』やるか?」 さびれた宇宙港のそばにある、場末のバーで同僚のダレスに持ち掛けられたが俺は固辞した。「そんなの今からやっちまったら、明日出勤できなくな 〈続きを読む〉


ユーザーアイコン
作者:雨宮ヤスミ お題:茶色い幻覚 必須要素:イタリア 制限時間:1時間 読者:31 人 文字数:3595字 評価:0人
久しぶりに会った姉は憔悴しきった顔をしていた。「どうしたの、って……。決まってんじゃんか……」 姉は大きなため息を吐く。義兄さん? と尋ねると「部分的にそう」 〈続きを読む〉

にいの即興 小説


ユーザーアイコン
作者:にい お題:イギリス式の人体 制限時間:15分 読者:15 人 文字数:918字
本来ヘソがあるべきところあたりにネジがある。マイナスかプラスかと言えばもちろんプラスだ。漫画に出てくるみたいなヘソが金属になって腹に埋まっているみたいな見た目 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:にい お題:昼の快楽 必須要素:右手 制限時間:1時間 読者:18 人 文字数:2950字
「460円になります」「はーい」 コンビニで弁当を買った客が、上着のポケットに右手を入れて、「あれ」と首をかしげた。そこに入れていたはずの財布がなかったのだろう 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:にい お題:人妻の監禁 制限時間:15分 読者:20 人 文字数:1039字
彼女はご機嫌で鼻歌を歌いながら洗濯物を干していた。外は大雨なので、寝ぼけたうえにうっかりさんなのだろう。干した端から濡れているのに気づかずに、全部干し終わって 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:にい お題:朝の闇 制限時間:15分 読者:21 人 文字数:954字
それは大体、部屋の隅にわだかまっていることが多い。ホコリが溜まるのと同じところで、ぱっと見には区別がつかない。気が向いて掃除機をかけたとき、何度往復させても取 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:にい お題:とんでもない挫折 制限時間:15分 読者:27 人 文字数:783字
足を折った。 校舎の外側にある非常階段だ。よっぽど嬉しいことでもあったらしく、クラスメイトはスキップしながら上の階から降りてきた。足を踏み外しそうだと思ってい 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:にい お題:茶色い幻覚 必須要素:イタリア 制限時間:1時間 読者:34 人 文字数:3003字 評価:1人
先日の人間ドックで血糖値の高さを指摘されてから、甘い物禁止令が職場に発令された。同僚と揃って同じ結果を出たのが上司に知られたのだ。客が差し入れる菓子折りの箱が 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:にい お題:強い処刑人 制限時間:15分 読者:23 人 文字数:1022字
「我が国で死刑を廃止しようと思うんだ」 話がある、と王様に呼び出されて晩餐に同席した彼は、その言葉を飲み込むのにすこし時間がかかった。今日も仕事をしっかりこなし 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
内回り ※未完
作者:にい お題:東京の窓 制限時間:15分 読者:20 人 文字数:831字
窓ガラスに頬をぺったりくっつけて眠っていたらしい。乗り物に乗るといつもこうなのだ。今日こそは居眠りするまい、したとしても体勢を維持するぞ、と決めていても、気が 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:にい お題:やば、失敗 必須要素:ブラウザはなるべくGoogleChromeを使用してくださいまじで。 制限時間:1時間 読者:31 人 文字数:2906字 評価:1人
休日の昼間にパソコンでゲームをしていると、最近ボケ始めたじいさんがふらふら近づいてきた。足取りは危なっかしく、自分の右足に左足を引っ掛けて転びそうである。整頓 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:にい お題:清い国 制限時間:15分 読者:19 人 文字数:979字
道路の真ん中には一本線が引かれていて、線よりこっち側と向こう側では別世界が広がっている。舗装すらされておらず剥き出しの土の道と、光沢のあるつるつるした道のうえ 〈続きを読む〉