お題:不本意な狂気 必須要素:タイトル「ただ、助けたかっただけなのに」で書く 制限時間:1時間 読者:39 人 文字数:3205字

ただ、助けたかっただけなのに

 相棒の命綱を握っているときに電話がかかってきた。急斜面の崖にしがみついて今まさにロッククライミングの最中だったが、電話には反射的に出てしまうタチだ。
「はい、もしもし」
「三丁目の山口まで、寿司五人前で」
 昭和の香りのするレトロな間違い電話だった。あまりのベタさににやけてしまう。寿司を五人前とはなにかのお祝いごとだろうか。それとも山口家では、こどもの日には出前の寿司を食う習慣なのか。五人家族。三人兄弟は上から兄、妹、弟で、ひな祭りには長女が主役だったから、今回は男の子ふたりがはしゃいでいる。新聞時で兜なんか折ったりして、一軒家のこじんまりした庭には、かわいらしい鯉のぼりが泳いでいる。
 平凡だが、しあわせな家庭だ。間違い電話によってそんなあたたかさの恩恵を分けてもらったようで、感謝したい気持ちだった。
「寿司屋なら駅前においしい店を知ってますよ。電話番号は×××-××……」
「あ、これはご丁寧にどうも」
 間違いに気づいた先方と、互いにはにかんだやり取りを交わしてから電話を切った。いい気分だった。生きていると、他人のしあわせに触れて自分も幸福になる機会があるものだ。
 スマホをポケットに戻したところで、自分の今いる場所を思い出した。
 それと、危機的な状況も。
 ――片手は崖にしがみついていて、もう片手は今ポケットから出したところ。人間に手は二本しかないから、命綱を握りながら電話はできないことになる。下を見た。命綱のロープだけを頼りにロッククライミングをしていた相棒の姿はそこにない。霧の海の向こうに目をこらせば、遥か下で無残に岩に叩きつけられた相棒が見て取れた。
「……またやってしまった」
 わざとではない。反射的な行動だったから仕方ないのだ。

「まったくお前は。頭がおかしいのか。それとも狂ってるのか。登頂の最中にべつのことに気をとられるなど!」
「面目ない。ですが、断じて狂ってはおりません。今朝精神科にもかかりましたが、『至極能天気』との太鼓判を押され……」
「医師の評価などどうでもよろしい。問題は、お前が何人相棒を死なせたかといことだ。私は数えてるぞ、今年に入って500人だ、500人!」
 それはいくらなんでも盛りすぎだ、と眼の前で怒り狂う所長を見つめて憮然とする。日記に残している限りでは489人、かけがえのない命を11人もかさ増しするとは、人命軽視ではなかろうか。
 人のよく死ぬ職場とはいえ、言っていいことと悪いことはある。
「お言葉ですが、所長。相棒をよく死なせるとはいえ、私が登頂を試みるのは最難関の絶壁。彼らは己の職務を全うしたのです。その死の責任を、ことごとく私の落ち度とするのは、精一杯がんばった彼らに対する冒涜ではないでしょうか」
「では聞くが、いいか、おれの目を見て答えろよ。お前はここに勤めはじめて何年になる」
「300年ほどですかねえ。あっ今、日記を確認します。むかしから欠かさずつけてるのが自慢なんです」
「正確なところが知りたいわけじゃないからあとにしろ。それで、この山登り所でおれの次に長く勤め、組む相棒には指導せねばならない先輩であるお前が、はたして新人の命綱を途中で放さなかったことがあったか?」
「はて、記憶にある限りでは。日記を確認すれば、一回くらいあるんじゃないですか」
 言ったとたん、所長はその大きな手のひらでデスクをバーン! と音を立てて叩いた。所内で事務仕事をしていた所員が一斉に振り返った。
「ただの一度もなかった! お前が登頂に出向き、生きた相棒と一緒に帰ってきたことがないと、おれは覚えているからな!」
「大した記憶力ですねえ。物忘れに悩むことがなさそうで、羨ましいです」
 のほほんと答えると、所長はついに脱力して、大きなサイズに合わせた手袋を嵌めた手を、ぞんざいに出口に向けて振った。
「出ていけ。……解雇じゃないから、そう顔を輝かせるな。うちは人手不足だからな、お前みたいなやつでもいないと立ち行かなくなる。謹慎が明けたら戻ってこい」
「はあい。実家に帰ろうかなー。あっ温泉にでも浸かりにいこうか」
「休暇の計画を謹慎を言い渡した上司のまえで口にするんじゃないよ。いいか、お前のすることはあらかじめ決まっている」
「まさか、あらかじめ決まっているとは……」
「通院だ、通院! そんで、『こいつ、間違いなく狂ってる』と医師のお墨付きの診断書を貰ってくること! そうすれば、おれだってお前なんてどこぞへ放逐してやれるんだからな!」
 文字通り尻を蹴って叩き出されたあと、実家に近くにおすすめの温泉はないか電話をかけながら、足だけは最寄りの精神科に向けることにした。

「ではまず、その回転する椅子に座ってください」
「病院の椅子ってどうして、背もたれがなくて回転するんでしょうね。目が回りますよ」
「座ってと言いましたが、べつに回転する必要はないんですよ」
「なんだ、てっきり……なんだか気持ち悪くなってきました。洗面所はどこですか」
 医師に教えられた洗面所に行って胃の内容物を戻してから帰ってくると、もうカルテが作成されていた。
「結論から言いますとですね、あなた、狂ってますよ」
「おお、さっそく任務達成ですか」
「話を最後まで聞いてください。ただ問題があるとすれば、あなたがた全員が狂ってるということです」
 これは寝耳に水だ。回転に弱いのに反射的に回りはじめそうになった。
「300年の付き合いになる所長も、山登り所の所員も、489人の死んだ相棒も狂っていたと、先生はそう言うのですか」
「まあねえ。まず君らが必死になって登ろうとしている山だけど、登ったところでなにがあるっていうんだい」
「達成感、とかですかね。あ、でも給料も出るんですよ。ロッククライマーはちゃんとした職業です」
「出資者がきっと、狂ってるんだろうね。あと君らの年齢だけど」
「私は300年間、日記をつけているのは確かです」
「どれ、貸してみて」
 肌身離さず身につけている日記を医師が受け取り、ぱらぱらととページをめくった。「筆跡が違う」医師の声が遠く聞こえてくる。近づいたり、遠ざかったり……無意識に椅子を回転させてしまっている。「君、いや君たちは300年、書き継いでいくことで自分たちをひとりの人間だと思い込み……」気分が悪い。回転しすぎたせいだ。また洗面所に行かないと。「どうした? 壁をよじ登ろうとしても無駄だよ。この病院の壁は患者が怪我しないよう、やわらかい素材でできて……おい、何を」

 洗面所に行って戻ってくると、診察室に医師の姿はなかった。回転する椅子がなぜかさかさまになって回転しているだけだ。ほかには誰もいない。
 診察室を出て、実家に帰ろうと白い廊下を歩いていると、ガラス窓の向こうに所長の顔が見えた。鬼の形相だ。次、相棒を殺したらただじゃおかないと釘を刺すように。
「べつにわざとじゃないんだ。電話をとった瞬間、しまったとは思って、手を伸ばそうとしたんだけど、届かなかった。だから、電話に気をとられたというふりをして……」
 自分でもなにを言っているのかわからなくなってきて、口をつぐむ。狂人は支離滅裂なことを言う、とは医師がまえに教えてくれたのだったか。歩いているうちに診察室まで戻ってきてしまい、なかを覗くと、椅子の下敷きになった医師がいる。
 その手は誰かに救いの手を差し伸べるように、宙で固まっている。
 部屋には入らず、そのまま廊下を行くと、今見た光景さえ頭から薄れていった。どちらに向かえば実家にたどり着くのだろう? 進んでも白い廊下が続くばかりで……窓からは、灰色の塀が見える。

「あの壁を登攀するのだ!」
 所長の号令が聞こえて、謹慎が明けたら合流しようとうなずいた。



 


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