お題:真実のボーイズ 必須要素:奴の小指 制限時間:1時間 読者:39 人 文字数:3257字 評価:0人

小指のない男
 空の色が紫色だ。草の生い茂った五月の河川敷に、奇妙な陰影を落としている。
 僕はそれを横目に見ながら、土手の上の遊歩道を走っていた。
 高校でクラブ活動をしていた時、ここをよくランニングしていた。
 かったるいアップの時間、どこか倦んだような行進をしていると、後ろからマネージャーが自転車で追いかけてくる。
 自転車はゆっくりとしたスピードだが、追い抜かれると筋トレを増やされるので僕たちは必死になる。ファイトー、とマネージャーが爽やかな声をかけてくる。
 あの時と、今は違う。僕はジャージ姿で、ユニフォームを着ていない。
 そして、たった一人だ。たった一人で、こんなところをどうして走っているのだろう。
 疑問を抱くことなく、足は進む。ハッハッハ、とリズミカルな呼吸は止まらない。草生したにおいをいっぱいに吸い込みながら、僕は走るのだ。
 すると、「カッパの看板」に差し掛かる。
 「カッパの看板」は、本当は「川で遊ばないように」ということを伝えるための注意書きだ。
 「かわにはいらない」とひらがなで書かれた下に、男の子がカッパに引き込まれそうになっているイラストが描かれている。それが目のつり上がった凶悪な顔のカッパで、妙に印象に残る。そのせいで、みんな「カッパの看板」と呼んでいた。
 こんなカッパがいなくとも、河川敷に降りる子どもはいない。河川敷には、ホームレスが昔住んでいた小屋があって、そこにたくさんのものが捨てられていて、ちょっと近寄りがたい。そのホームレスの幽霊が出る、なんて言われていた。
 そんな看板の辺りを過ぎると、向こうから誰かがやってくるのが見える。
 黒ずくめの男で、五月だというのにばっちりコートを着込んでいる。頭にはソフト帽をかぶり、口元にはマフラーと完全防備だ。
 遠くからでも、その目がぎらついているのがわかるので、僕は引き返したくなる。
 でも、そうはいかない。僕はどんどん足を進める。
 キコキコキコ、と後ろから聞こえる自転車の音に追い立てられるように。
 いつの間にか、マネージャーが追いかけてきているのだ。しつけられた犬が、ベルが鳴ったら肉が出ると思ってよだれを垂らすように、僕は自転車が後ろからくると走らずにはおられない。
 足は一層速く動き、僕と黒ずくめの男との距離を詰める。
 その距離が5メートルもなくなった時、男は右手をコートの下に回し、腰のあたりから銀色に光るものを取り出した。
 僕は息をのむ。
 黒い柄の、くの字に曲がった巨大な刃物だ。90センチぐらい刃渡りのあるそれを握る男の手に、僕の目は釘付けになる。
 柄を握る男の指は、三本しか見えない。人差し指と中指と薬指、男は小指がなかった。
 近付いちゃいけない。心はそう思っても、身体は言うことを聞かない。水中を動くように不自由なくせに、着実に男との距離はなくなっていく。
 男が巨大なナイフを振り上げる。僕は悲鳴を上げる。


 そしてそこで、目が覚めるのだ。

 ◆ ◇ ◆

 現実の僕は、もう高校を卒業している。
 地元のカフェで働きながら、専門学校に通う日々だ。
 この生活も早1か月が過ぎた。それは、この夢とも同じだけの付き合いということになる。
 カレンダーを見ると、もうすぐ五月だ。
 あの夢では、僕は何故だかわからないけれど五月だと確信している。
 絶対に近付かないでいよう、そう思っている。

「いらっしゃいませ」
 注文を取りに行って、僕はぎくりとなる。
 目の前の席に座っているお客さんは、もう春だというのに黒ずくめのコートにソフト帽をかぶっていた。
 まるっきり、あの夢に出てくるナイフの男と同じだ。
 いやまさか。そう思いながら僕は震える声で注文を取る。
「コーヒー、ホットで。砂糖はいらない」
「か、かしこまりました……」
 注文を復唱した時、男の右手の指がちらりと見えた。
 四本しかなかった。小指が、なかった。

 奥に下がって、僕は店長に尋ねる。
「7番卓のお客さんって、常連さんですか?」
 人のいい顔を向けて、七三分けの中年のおじさんは「え?」という顔をした。
「いや、知らないなあ。この暖かいのにコート着ちゃってまあ……」
 変なお客だね、と笑う店長に僕も愛想笑いで返した。
 給仕をしながら、僕は男の様子に気を配っていた。
 予定を早めて、この店で抜刀する気かもしれない。そう思うと恐ろしかったが、あの夢と違ってこの店には店長や他の店員、お客さんもいる。一人じゃないなら何とかなる、と言い聞かせることができた。
 それなりに注目していたはずなのに、男はいつの間にか姿を消していた。
「7番卓かたして」
 そう指示されてお盆を持っていくと、コーヒーにはまったく手を付けていなかった。
 ソーサーに手を触れて、僕はゾッとする。
 ホットだったはずのコーヒーは、冷蔵庫に一晩入れたような冷たさになっていたから。

 ◆ ◇ ◆

 五月がやってきた。
 相変わらず、同じ夢を見る。
 河川敷を走り、小指のない男と出会い、ナイフを振り上げられ……。
 夢を覚えている朝は、いつも叫んで飛び起きる。
 鼻の奥に残っている草のにおいが、日に日に濃くなってきているような気がした。

「ねえ、一つ頼まれてくれない?」
 ゴールデンウィークが明けた週のこと、店長は帰り際の僕に言った。
「××高校の近くにある、石本って家にこの豆を届けてほしいんだ」
 その石本という家は知っていた。店長の古くからの友人らしい、と先輩から聞いている。そして、××高校は僕の母校なので、あの辺りには土地勘がある。
 ただ、この店から高校の方に行くには、あの土手の上の道を通らなければいけない。
「ボーナスは弾むよ? あそこの高校の出身だからわかるだろ?」
 店長は調子の悪いコーヒーメーカーを診ないといけない、と言った。少し考えてから、僕はコーヒー豆の袋を受け取った。

 河川敷を、僕は袋を抱えて歩いた。
 空は紫色なんかではなく、とっぷりと暮れている。 
 だからきっと大丈夫。暗闇に、逆に僕は勇気をもらおうと努めた。
 やがて、「カッパの看板」が見えてくる。白い看板の近くには街灯が灯っていて、あの凶悪な顔のカッパがぼんやりと浮かんでいる。
 くるのか? 前方には誰もいない。
 けれど、後ろ。後ろに気配を感じた。
 キコキコキコ、と自転車をこぐ音だ。
 夢と同じじゃないか。僕は振り返る。暗闇の中、無灯火の自転車がこちらにくる。
 乗っているのは、店長……?
「やあ、予定より早く済んでね」
 街灯の下、七三分けの男はそう言った。
「コーヒー豆はもういいから、ちょっと付き合ってくれないか」
 店長は自転車から降りてスタンドを立てた。
「少しでいいんだよ、少しで。そこの下、ほら、降りられるだろ? あそこに僕の秘密基地があるんだよ。子供染みてるかな? いや、そうでもないんだよ。ちょっとお話ししよう。ほら、さあ、来なさい。少し話すだけだから……」
 店長の言葉、顔つき、手がすべて恐ろしく思えて、僕はそれを振り払おうとする。店長は手を払われて、「何をするんだね?」と急に笑顔を消した。
「何も恐れなくてもいいだろう? 僕と君の仲じゃないか。そうだろう? ほら、来なさい。男同士なんだから、何も遠慮することはないんだ……」
 僕の手首を掴もうとした店長の手、それを避けた時、僕は横から突き飛ばされた。
 仰向けに倒れる僕の目に映ったのは、あの黒いコートとソフト帽の男、そして大きなナイフを握った四本指の手だった。
 店長の悲鳴が聞こえる。店長が手を押さえて転げまわっている。
 倒れた僕の頭の横に、小さな何かが転がってきた。
 店長の小指だった。
「命拾いしたな」
 黒ずくめの男はそれだけ言って、夜の闇に溶けるように消えた。
 朦朧とする意識の中で、僕はパトカーのさいれんのおとをきい
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