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お題:蓋然性のある境界 必須要素:美しい情景描写 制限時間:1時間 読者:114 人 文字数:2920字 評価:2人

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 有刺鉄線の此岸と彼岸。西側の武器を持った兵士と東側の武器を持った兵士は疲れ切った表情で顔を合わせ、何か語るでもなく直立不動の姿勢を貫いている。ベルリンの壁のようにコンクリートで壁を作ればよかったものの、西日暮里と日暮里を隔てるにはこの程度で十分ということだろう。
 ひょんなことから起こったクーデターは半ば失敗に終わり、東京のど真ん中に某国の支援を受けたお粗末な国家が誕生するという事件から半年。西日暮里でありながら東側諸国として数えられる悲しき国は、有刺鉄線の外側からでもその寂れ具合はよくわかった。
 誰も望まない独立。誰も望まない分裂。有刺鉄線を挟んで日暮里を見つめているその兵士も、誰かの命令で西日暮里を『解放』しただけかも知れない。現に、毎月数名の兵士が西側へと亡命してくる。民間人はその数十倍だ。すでに国家としては機能しておらず、どこぞのNGOを名乗る集団が送る人道支援物資という名の某国からの供給品で息を繋いでいる状態だ。
 西日暮里はまもなく日本に戻ってくるのではないかという話題もメディアを賑わすほどでもなく、多摩川に現われたカピバラのニュースの方が人々の記憶に新しい。カピバラほどの興味も失われた小さな小さな共産国家は、やがて人民と呼べる者はただの一人もいなくなるだろう。


 生ける廃墟と化した西日暮里を撮影しに行こうと先輩が言いだしたのは、バレンタインデーも間近に迫る二月の某日であった。彼女は私の学生時代の先輩であり、今はトイプードルの毛を刈ったり、時折肉を挟んで飼い主に謝ったりして生活をしている。カメラマンでもなんでもない彼女が「西日暮里の写真を撮ろう!」と言いだしたこと自体は、彼女の過去の惨憺たる――輝かしい実績を鑑みれば別段驚くべきことではないのだが、それに私も巻き込まれるとなれば話は別だ。
「先輩知ってます? 変なことをするのは変人ですが、変なことに人を巻き込むのは迷惑者って言うんですよ?」
「それは私が少なくとも変人みたいな言い方ね」
「最低限それだけは保証しますよ。少なくとも、朝から放課後までの間に校長の車のホイールをドクロみたいなやつに交換したりするのは普通の人のすることではないと思います」
「それだけじゃないわよ。忘れた? シフトレバーの先端も水晶のドクロにしてやったじゃない」
「どうでもいいですけど、西日暮里だけは反対です。一応あそこ危険地帯なんですからね」
 丁度、そのときタイマーがセットしてから三分経ったことを告げ、私はカップ・ヌードルの蓋を開けて、プラスチックのフォークで急いで麺を掻き込んだ。この世に存在するありとあらゆるカップ麺は箸で食べるべきだが、カップ・ヌードルだけは別だ。これはフォーク、それもプラスチックのもので食べるのがマナーである。私がマナー講師の肩書を手に入れたならば、面接時のノックの回数よりも先にこの常識を世に広めるだろう。
 先輩はゆっくりと立ち上がり、カップ焼きそばの湯を流しに捨てに行った。まったく無駄の多い食品である。非常時には貴重な湯を捨てるのだから。それさえも活用する焼きそば弁当だけが真にカップ焼きそばを名乗ってよいと私は思っている。
「私の先輩の先輩――つまり、あなたのひい先輩が西日暮里にいるのよ」
「先輩の先輩の先輩をひい先輩と呼ぶのは初耳ですが……まぁいいや続けてください」
「彼女は高校の頃写真部で、大学でも写真のサークル入ってたの」
 言われて、一度だけ会ったことがあることを思い出した。長身で痩せていて、どこで売ってるのか訊きたくなるような丸眼鏡を掛けていて、首から一眼レフかミラーレス一眼かは判らないが大きなカメラをぶら下げていた女性だ。笑顔が妖しく、蜜のような空気を纏った特徴的な人だった。
「その人が、こないだ写真を送ってきてくれたの。脱西日暮里する人に手紙を持たせてね」
 カップ焼きそばと一緒に先輩が持って帰ってきたのは、数枚の写真だった。ただの一枚も人間が写っていない風景写真。光よりも影が多いが、そのために僅かに差し込む光がどこか神々しい。人がいなければ、目に映らぬ何者かがそこにあるとでも言うような、そんな写真たちであった。
「たった半年でこの有様。もうじき西日暮里が日本に戻れば、すぐに浄化されてしまう。今しか存在しない、蘇ってしまう廃墟。私も撮らないかって、誘ってくれたの」
「でも先輩、カメラは」
 言いかけ、私は気付いてしまった。麺が伸びるのも忘れ、彼女の視線が部屋の隅のダンボール箱に注がれているのに。その中に何が眠っているのか、訊かなくてもわかる。
「……なんで私を誘うんですか」
 先輩は答えず、焼きそばに付属のマヨネーズをかけ始めた。私は焼きそばにマヨネーズをかけるなんて許せない。大嫌いだ。きっと、私のひい先輩もそうしていたのだろう。だから、私はひい先輩も大嫌いだ。
「行くならひとりで行ってください。そんで廃墟見学したあとにいちゃいちゃしてればいいじゃないですか」
「そうじゃないのよ。もう、そんなんじゃないの。私はあの人の写真が好きだったけど、あの頃はあの人とあの人の写真の区別がつかなかったって、それだけよ」
 アパートのすぐ脇を電車が通り抜ける。都内にして月二万円の理由。私の心のように部屋が軋み、私の耳を塞ぐように騒音が部屋を駆け廻る。高速で通り抜ける電車の窓に反射して差し込む西日が、彼女との思い出が詰まったこの部屋と、悲しそうに微笑む彼女の顔を、コマが歯抜けになったフィルムのようにぱたぱたと彩った。
「私はあなたと行きたいのよ。でも……たしかに、危ないわよね」
 彼女はマヨネーズと麺をぐちゃぐちゃに混ぜて、それを一気に掻き込んだ。この地上で下から八番目くらいに汚い食べ方だ。私はこの地上で下から八番目くらいに汚い食べ方をする彼女が大好きだ。
「ごめんなさいね。今日のことは忘れて。私も、行くのやめるわ」
 それが私の聞いた、彼女の最後の言葉だった。その日はそれ以降会話はなく、翌朝目覚めると、彼女の姿はなかった。部屋の隅のダンボール箱は開いていて、中は空っぽになっていた。

 テーブルに残されていたのは、私のひい先輩の写真。悔しいことに、とても綺麗な写真を撮る。物資だけが積まれていて、誰もいない公園。組み立て途中で駅のガード下に放置された某国製の戦車。割れたショー・ウィンドウの中に放置されたマネキンにはヘルメットが被せられ、『Keep Calm and Carry On』と書かれている。そして、ひい先輩の手紙。

 全てが日常へ戻ってしまう前に、非日常の扉を開けておく。そちらが現世なら、こちらは隠世。それを隔てるのが結界だが、有刺鉄線の結界は穴だらけだ。今を逃すと全てを逃すぞ。今宵限りの隠世で君を待つ。

 私は手紙を丸めて、窓から線路へ投げ捨てた。そして、着替えや歯ブラシなどをリュックサックに詰めるだけ詰めて、写真の裏に書かれていた地図に従い西日暮里へと忍びこむべく、築四十年のボロアパートを飛び出した。

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