お題:蓋然性のある境界 必須要素:美しい情景描写 制限時間:1時間 読者:78 人 文字数:2401字 評価:1人

渇望
 扉が開くのは三度に一度の確率と言っていい。何十回となく通ってきたから、大体そのくらいの割合であるとわかる。確実ではなく、偶然性に頼るところのある事柄があると、賭けをしてしまう癖がある。公園で寄ってきた一匹目の鳩が餌を食べるか否か、次の電車が来るまでに、見える範囲の空に飛行機が横切るかどうか。自分でルールを決めて、賭ける対象はいつもひとつだ。すなわち、『まだ彼女に会いに行くことが許されるか』
 扉は開いた。
 今のところ、賭けには勝ち続けている。
 それは、求める結果が出るまでサイコロを振り続ける、諦めの悪さの賜物で、人はそんなものは賭けではないと言うだろうけど。
「通行料を支払ってください」
 頭上で監視していた門番から、声が降ってくる。仕事中なのにリンゴを食っていて、扉を抜けてすぐに果汁の水たまりができている。
「大体でいいから金額を教えてくれ。この時代の通貨は持っていないから、現代の価値に換算して」
「リンゴ三個分ですね」
 アイドルの体重みたいな表現をする。肩に降り掛かってきた汁をぬぐってから、スーツの懐を探る。リンゴ三個分。現代でそのくらいの価値があるものを持っているかどうか。
 ポケットにラップに包んだアップルパイが入っていた。馴染みのクリーニング屋は、ときどき自作の菓子をこっそり仕込んで衣服を返す。小腹が空いたときに食べることができるし、こんな場合にも役に立ってくれる。
 門番は食べかけのリンゴを放り出し、嬉しげにアップルパイを頬張った。
「お通り、どうぞ~」
 何十回めともなると、定型句もおざなりだ。もともと、ここは正規の扉ではないし、当局にばれれば利用者ごと抹殺されかねない。門番だっていつでも首を斬れる雇われだろうし、境界の通過にも特別の資格はいらない。
 扉を発見したのは偶然だった。たまたま、出張先のホテルのクローゼットを開けたら、ここに通じる道があった。顧客の選別は偶然に頼っていて、それがまた、賭けに勝ったような気分にさせる。
 まだ彼女に会いに行ってもいい。そう、運命の導きとすら、錯覚させる。
「くれぐれも、過去に深く干渉しないように」
 もぐもぐと口を動かしながら、門番がお決まりの注意事項を告げた。

 両手に開いていた文庫本が床に落ちた拍子に、彼女が目を覚ました。
「あら」
 目をぱちくりさせ、自分の落とした本をぼんやりと見つめ、反射的に拾い上げたあとでやっと、正面に立つ相手に気づく。
「来ていたの。黙っているなんて、趣味が悪いわ」
 一体いつから、と聞かれて、はじめて時計を確認する。彼女の寝顔を見ているうち、何時間も経過していた。今来たところだよ、と嘘を答える。彼女は恋人でもなんでもないし、何時間も黙ってそばにいるなんて、気味悪がられる。現在の彼女の認識では、今目の前にいる相手は、たまに公園で出会う顔見知り、その程度の間柄なのだから。
「やっぱり本を読んでいると、眠くなるわ」
 木漏れ日のまだらに落ちるベンチで、彼女は伸びをする。背後に噴水の飛沫があがり、まだらの光にきらきらと反射する。ロングスカートの美しい女と、穏やかな春の公園。絵になる光景だった。
 それも、大口を開けてのあくびが続いて、台無しになる。
「君って、本当はここに寝にきてるんだろ」
 もたれていた木から離れて、彼女の隣に座る。座高が低く、もし彼女がこのままうたた寝を続けてくれたら、肩を貸すのにちょうどいい身長差だ。その様子を夢想して、想像だけで満足する。実現はしなくていい、本当にそんな事態になったら、きっとみっともなく狼狽えてしまうから。
 寝にきている、と言われたのが、彼女は心外だったようだ。
「本を読みにきてるのよ」
「寝てたじゃないか」
「情景描写って三行以上続くと、眠くなるわよね。どんなに美しかろうと、なんだか自己満足って感じ。うまく想像できないからかしら、なくても構わないと思うわ」
 本は閉じられた。続きを読む気にはなれないらしい。表紙を見れば、前に会ったときと同じ本だ。その前も、ひょっとしたらはじめて会ったときも同じ本だったかもしれない。繰り返し読んでいるのではなく、まだ読み終わっていないだけだろう。好みに合わない本なら読まなければいいはずだから、やっぱり彼女は気持ちよく眠るために、この場所で本を開いているのに違いない。
 機嫌を損ねたくないので、口にはしない。
「公園の鳩って、人間見るとすぐ寄ってくるよね。その割に、餌を必ず食べるってわけじゃないんだから」
 彼女が本を閉じたのは、眠るよりも一緒に話す時間にしてくれるつもりだからだ。せっかく賭けに勝って、運命に導かれた気になって会いにきたのだから、心地よい時間にしたい。鳩が何羽か、ベンチに寄ってきた。ポケットに入っていた菓子パンを渡すと、彼女が端をちぎって投げる。
「ほら、食べない。本当に、気まぐれなんだから」

 クローゼットの扉を閉めた。脳裏に彼女の面影が残り、まだ耳には彼女の声が残響する。固く閉ざされた扉をじっと見つめる。今、会ってきたばかりなのに、また誘惑が襲ってくる。我慢できずに扉を開けた。ホテルのバスローブが一着、ハンガーから下がっている。
 三度に一度だ。
 扉を閉め、また開けた。バスローブとハンガー。もう一度閉め、また開ける。なんの変哲もないクローゼットの中身。それから三度繰り返しても駄目だった。今日は調子が悪い。
 息が詰まって、クローゼットから離れて携帯電話にすがりついた。実家の番号を押す。コール音。はい、と女の声が出る。
「母さん」
「もう電話してこないでって言ったでしょ。いい大人なんだから、自立しなさい」
 むなしく電話は切られた。息があがる。やっぱり今の母さんは駄目だった。すがるようにクローゼットの扉を振り向いた。






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