お題:蓋然性のある境界 必須要素:美しい情景描写 制限時間:1時間 読者:50 人 文字数:2289字 評価:2人

氷河が街にやってくる
凍りついた汽車がきしむブレーキの音を立ててとまり、細かい氷の破片がパラパラとホームに落ちた。
何百キロもの距離を走ってきた車体のあちこちから、白い煙がゆらゆらと立ち上っている。車体の熱で暖められた雪が溶け、氷点下二桁台の寒さに再び冷やされて氷の粒を生じるのだ。

ホームは極寒の中に沈んでいた。コートのポケットに手を突っ込んで身をすくめても、縫い目の一つ一つから寒さが忍び込んでくるようだ。合成皮の耳あて付き帽がなければ、凍傷で耳が落ちてしまうことだろう。
汽車のドアが開くまでのほんの少しの時間が、まるで千年もの長さに思える。
やがて、氷をパリパリと割りながら列車のドアが開き、僕はポケットから手袋を履いたままの手を出して挨拶した。

「やあ、樺太はどうだった?」
「寒かった」白いコートを着込んだ彼女は、簡潔に答えると、エスカレーターに向かった。
「だろうね」僕は彼女について並走しながら、そう答えた。

ホームから改札に降りても温度はほとんど変わらなかった。吐く息は相変わらず白い。
ところどころに設置してある小さなストーブは懸命に熱を放出し、それに人間が群がっていたが、そんな人間の営みなどあざ笑う様に、冬は街を完全に支配していた。

ストーブの前の公共テレビジョンからは今日の天気予報が流れる。来週はさらに冷え込むらしい。これ以上の寒さがどうなのか、想像することすら精神的に負担だ。僕は何も考えずに足を動かすことにした。

「やっと、文明に出会えたわ」地下街に降りて喫茶店に入り、熱いコーヒーに口をつけた所で彼女はそう言った。僕も同感だった。。
地下街ほど文明を感じるものはない。JRタワーの地下に建造された巨大ボイラーが大量の熱と電気を生み出し、それが地下街を温めている。静かに全てを覆い尽くす冬に比べれば、局所的なとるにたらない抵抗かもしれないけれど、それでもコートを脱げるという事実は、僕たちにまだ冬に立ち向かう力があるのだというささやかな自信を与えてくれるのだ。

「向こうの氷河はどんな感じ?」
「かなり前進している。もう豊浦の近くまできている。宗谷海峡を渡ってこっちにくるのも時間の問題ね。来年か……再来年って所かしら」
「ついに到達するってわけか」
「詳しくは夏にならないとわからないけれどね。氷河の前線がどう動くかはかなり蓋然性が高いから。毎年、伸びたり縮んだりを繰り返して……それで時々一気に伸びる」
氷河前線とは、氷河が伸びているその先のことだ。天候や季節によって大きく上下する蓋然性のある境界で、今の僕たちはそのラインが地図上のどこにあるのかで一喜一憂する。

氷河の前線がのびればそれだけ冬は強くなったということだし、短くなればそれはあの素晴らしき日々に戻りつつあるということで、とても嬉しいということだ。
「これ、向こうの様子よ」彼女はスマホの画面を指でスワイプした。氷に覆われたボロボロの集合住宅、その隣の打ち捨てられた廃墟。
「これは?」
「すっかり凍った湖よ。透明度が高いから、まるで水の上を歩いているみたいでしょ」
スマホの中の写真は非常に美しかった。一面の氷の上に彼女は立っていた。強い風が雪を吹き飛ばしたようで、氷は鏡みたいに磨かれている。そこに太陽が反射して、とても美しい眺めだ。その中で水の上を歩く聖者のように彼女が立っている。
「あんまり、すごいから、近くにいた人に撮ってもらったの」
「すごい綺麗だ。SNS映えしそう」
「結構地元の人には知られていて、投稿もされているみたいよ」彼女はそういうと、スマホをポケットにしまいこんだ。

「そっちの仕事は順調なの?」
「もちろん、ボイラー技士の仕事が尽きることはないよ。この街じゃ」
「羨ましいわ。働きがいのある仕事ね」彼女はテーブルに肘を付くと微笑んだ。
「できれば、この仕事がなくなる日が来て欲しいものだと思うよ。いや、昔に戻った所で無くなることはないんだけれどさ……せめてもう少し、忙しくない感じにならないかって」
「まだ当分無理ね。これがいつ終わるのかは、地球に聞いてみるしかないわ」彼女はカチャリと音を立てて、カップを皿に置いた。

しばらく話した後、彼女は大学に戻った。
僕は職場に戻る。職場に戻る時、僕はあえて地上に出てから帰ることにした。
彼女は正気?といって笑っていたけれど、こればかりは彼女に言われても直すつもりはない。
冬、というものを定期的に体で感じたくなるという、僕のちょっとしたこだわりだ。

階段を上がる度に、寒さに近づいていく感じがした。
地上につながるドアを開けると、残酷なまでに透明な空気が足元を流れ落ちるのがわかった。
後ろ手にドアを閉めて、すうっと冷たい空気を吸うと、鼻毛が凍った。肺が痛い。この感覚は大体マイナス30という所だろう。今日の最低気温は40度だから、さすがは日中ということだ。

街は完全に沈黙していた。すべてのものが凍りつき、つららをぶら下げている。動くものは車道を走るトラックがいいところで、歩いている人は見当たらない。百万都市の駅前の様子とは思えないけれど、これが今の現実だ。ここだけみれば、足の下にたくさんの人が行き交う地下空間が広がっているなんてとても思えないだろう。

氷河期が到来してから寒さの底はまったく見えない。
底なし沼に落ちていくように、毎年気温は下がり続ける。
彼女は言っていた。地球に聞いてみるしか無いと。それは本当なのだろう。

僕は薄暗い雲を通して太陽を見上げると、職場に向けてあるき始めた。
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