お題:蓋然性のある境界 必須要素:美しい情景描写 制限時間:1時間 読者:55 人 文字数:3630字 評価:4人

完全なる夏の風景
 それは、一面の夏色の絨毯だった。
 敷き詰めるように咲いたヒマワリが、こちらを照らしている。背の高いその黄色い花びらの隙間からのぞく空は青く、また白く大きな入道雲の影も見える。
 ヒマワリ畑の前には、女の子がいる。白いワンピースに麦わら帽子、肩に流れる長い黒髪、大きな目でこちらを見て、笑っている。
 「完全なる夏の風景」と題されたそれは、そんな油絵だった。
 大仰な額に入れられて、僕の通う大学の図書館の、正面入り口からまっすぐ進んだ大階段の踊り場に掛けられている。つまり、図書館に入れば真っ先に目に入るところに、それはあったのだ。縦横共に1メートル以上はあろうという大きめの絵で、よく目立っていた。
「いいよな、これ……」
 浜田という同期が、少し上ずった声で言った。
「俺、この絵好きなんだよ。というか、中の女の子がさ」
 麦わら帽子の女の子を、僕も見上げる。こちらを見て微笑んでいる彼女は、その格好や背景も相まって、夏の妖精のようだった。
「この絵に興味があるのかい?」
 突然、そんな声が後ろからした。
 振り返ると、白衣を着た30手前ぐらいの男の人だった。
 その人は、加藤と名乗った。芸術学部の出身で、今は博士課程にいるという。
「この絵はね、うちの大学の卒業生が描いたんだ。芸術学部の先輩だね」
 はあ、そうなんですか、と僕はうなずいた。
「夭折の画家でね、私の歳にはもう亡くなっていたそうだ」
 将来を嘱望されていた彼が、唯一遺したのがこの「完全なる夏の風景」だそうだ。
「絵の女の子って、モデルいるんですか?」
 浜田が加藤さんに尋ねる。
「お、君は好きなんだね、彼女のこと」
 微笑を湛えていた加藤さんが、にわかに口角を大きく吊り上げる。僕は一瞬ぎくりとしたが、浜田は元気に「はい!」と応えた。
「知りたいよね、それ。でもね、よくわかってないんだよ」
「そうなんですか……」
「実在したのか、それとも画家の頭の中にだけあった風景なのか……」
 加藤さんが絵に歩み寄ってきたので、僕は後ずさって道を開けた。
「色々と謎が多いんだよ。何でここに掛けたのか、とかもね。調べる人間もいないし……」
 おもむろにスマホを取り出すと、加藤さんは絵の写真を撮った。
「君たち、よかったら調べてみない?」
「いや、でも僕ら、経営学部なんで……」
 あ、そう。加藤さんは肩をすくめて、浜田の方を振り返った。
「君もかい?」
「ええ、まあ……でも、調べようと思ったら調べられたりとか……」
「片手間でできるぐらいなら、もう私がやってるよ」
 少し気分を害したように、加藤さんは眉をひそめる。
「す、すみません……」
「いや、いいんだ。ともあれ、転部という手もあるからね。好きなら考えてみてくれ」
 そう言い置いて、加藤さんは階段を上がって行ってしまった。
「なあ吉井、俺……」
 浜田がキラキラした目でこちらを見るので、僕は水をぶっかける気持ちで言ってやった。
「転部なんてやめとけよ。芸術学部なんて、就職ほぼないぞ」
「……だよな」
 はあ、と浜田は大きなため息を吐いた。
 これが、大学一年の春学期の始め、五月ごろのことだった。



「最近、浜田見かけなくね?」
 六月のある日、昼休みに学部の友人たちと昼食を囲んでいると、出し抜けに根元がそう言った。
「吉井、お前何か知らんの?」
「四月ごろ、よく一緒にいたじゃん」
 いいや、と僕は首を横に振る。
「確かに、最近あんまり見ないよね」
 冷てー、と根元が笑う。
「連絡とか取ってないの?」
 よく一緒にいた、と指摘してきた木村が食い下がってくるのを、僕は一蹴する。
「取ってないなあ。大学に来てんのかな?」
「友達甲斐ないな、吉井って」
「まあね。あいつ、『図書館の絵の女の子に恋した』とか、『芸術学部に転部しようか本気で考えてる』とか、何かイタいこと言い出したからさ、縁切ったんだよ」
 無論、「お前とはもう絶交だ」と言ったわけではなく、ショートメッセージアプリをブロックし、一緒に取っていた大教室の講義でも隣に座らないようにしているだけだが。
「図書館の絵?」
 怪訝そうに根元が眉をひそめる。根元はヤリサーに属するパーリーピーポーなので、図書館なんていうバーベキューのできない場所には立ち入らないのだろう。
「ほら、正面玄関からまっすぐ行ったら階段あるでしょ? その踊り場の壁にかかってる絵だよ」
「ヒマワリのやつか?」
 木村が口を挟んでくる。木村の方は真面目なので、図書館も利用しているのだろう。
「そうそう。あれに白いワンピースの女の子がいるじゃん。ヒマワリ畑の前に立ってる……」
 んん? と木村も眉間にしわを寄せる。
「そんな女の子、描かれてたか?」
「描かれてるじゃん。ほら、ヒマワリ畑の正面にさ、麦わら帽子かぶった……」
 あんまり記憶にないけど、と木村は首をひねった。
「まじまじと見たことはないから、忘れてるだけか……?」
「気にすることかよ。俺なんて全然ピンとこねーし」
 それは図書館に行ったことがないからじゃないか、と思ったが、口には出さなかった。



 そんな話をしたものだから、僕は翌日の空いた時間に図書館を訪れた。
 英語や第二外国語の予習をするのによく使っているのだが、あの絵の前で足を止めたのはあの一度きり、浜田と一緒に来て以来だ。
 正面玄関からまっすぐ歩いて階段を上り、踊り場の壁を見上げて、僕は「おや」と思った。

 女の子がいない。

 確かに、あの時白いワンピースの女の子がいたはずなのに、「完全なる夏の風景」は、青空の中にぽっかりと浮かんだようなヒマワリ畑だけを描いた絵になっていた。
 おかしい。一体、どういうことだろうか……。
「この絵に興味があるのかい?」
 聞き覚えのある声とフレーズにギクリとして振り返ると、白衣の男が微笑を浮かべて立っていた。
「か、加藤さん……?」
「おや、君はあの時の、経営学部二人組の内、興味がなさそうにしていた方の子じゃないか」
 1か月以上前のことを、加藤さんははっきり覚えているようだった。浜田のインパクトのお陰だろうか、と僕は少し思う。
「あ、吉井と言います……」
「そう。で、あの興味があった方は?」
 あれは浜田と言って最近はあまり付き合いがない。そう正直に言うと、加藤さんは微笑をより強い笑顔に歪めた。
「そうかい、付き合いがないのかい。もしかして、最近彼を大学で見かけないのかな?」
「え、ええ……」
 何でわかったんだ、と僕は怯む。確かに、新入生の中でも脱落者が出てもおかしくない頃なのだろうが、そういう推測以上の確信があるように見えた。
「やっぱりね。そうだと思ったよ」
 加藤さんは油絵に歩み寄ると、それを背負って立つように振り向いた。
「吉井くん、一つ聞きたい」
 僕は息を飲んで、「はい」と応じた。
「この絵に君は、白いワンピースを着て麦わら帽子をかぶった、黒髪の目の大きな女の子の姿が見えるかな?」
「……いいえ、今は見えません」
 今は、と加藤さんはそこだけを繰り返した。
「じゃあ、昔は見えていた?」
 うなずいた僕に、更に加藤さんは畳み掛ける。
「それは、その浜田くんと一緒にいた時、私と前に会った時だね?」
「そ、そうです……」
 油絵に描かれた女の子が、いたりいなかったりする。そんなことがありえるだろうか。そんな疑問を内心で抱きながらも、僕は肯定した。
「あの時、僕は『この絵のことはよくわかっていない』というようなことを言っただろう?」
 僕がもう一度首を縦に振ったの見て、加藤さんは続ける。
「そして、あの浜田くんにその謎を解くために転部を勧めた」
「そうだ、そうです。それで浜田のヤツ、本当に芸術学部への転部を言い出して……」
「気が付いたら、大学に来なくなってしまった?」
 五度目の肯定を経て、加藤さんは大きく息を吐いた。
「浜田くんはね、恐らくもう大学どころかこの世にはいない」
「……どういうことですか?」
 加藤さんは、「完全なる夏の風景」を振り仰いだ。何か、醜悪な怪物を見上げるような、鋭い視線であった。
「魅入られたんだ。この『完全なる夏の風景』に宿るものにね」
 この絵に白いワンピースの少女を見ると、それを見たものは失踪してしまう。そういう逸話があって、加藤さんはこの絵に興味を持ち、絵を見上げている学生に声をかけていたのだという。
「そもそも、こういう風景って、何故か私たちの頭の中にあるよね。誰も、こんなヒマワリ畑も白いワンピースの女の子も、本当には知らないっていうのに」
 加藤さんはスマホを取り出すと、「ご覧」と一枚の写真を見せる。それは、あの時撮った「完全なる夏の風景」の写真だった。
「ヒマワリが一本増えている。これが、浜田くんだよ」
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