人間らしく
数カ月前、国際連合が全世界に向けて一つの宣告をした。
半年後、宇宙より飛来する巨大な隕石によって、地球は致命的なダメージを被り、崩壊する。
初めの内はノストラダムスの大予言のような世迷言であると、誰もが思っていたが、日を経るにつれ、有識者の焦りが如実となるようなニュースが増え、皆が皆、確信に至った。
犯罪の増加に、インフラの崩壊。文明人が積み上げてきた社会制度も、全人類の余命宣告を前にしては脆くも崩れ去った。
都市部が見るに堪えない惨状と化す一方で、地方では、場所によって有志が慎ましやかながらも生活基盤を維持し、制度ではなく風習を守り、静かながらに暮らし始めた。
俺もそんな静かな地方で緩やかに命日を待つ人間の一人だ。
俺が住む地域は日本円が使える。今の時世では非常に驚くべきことで、場所によってはコンビニも稼働しているし、国連の宣告前と殆ど変わらない生活も可能だ。
それもひとえに、死ぬ最後の瞬間まで、いつも通りの日常を過ごしたいと願い、今以てその願いの実現に向け行動をしている人達のお陰だ。
俺はどうしても普段通り過ごすというのが時間の空費ではないかとしか思えなくなり、勤め先の会社を辞めたため、そういった人たちに対して憧憬の感情すら抱く。
かといって、何か空費と思わぬような物事をしているのかと言われればそうではなかったが。
そんなある日のこと、食料品を買いに行くため、俺は近くで稼働しているマーケットへ向かった。
日持ちする食料をかごに突っ込み、レジへ向かう。女性店員にかごを渡し、自分の財布を確認していると、近くに死んでしまうということが嘘のように感じられた。
ふと、レジ打ちをする店員と目が合った。見た目は宣告前と何らいつもと変わらぬ調子である。
「なぜ働いているのですか?」
しまったと思った。本来であれば聞く気のない質問だった。自分の意思に反して、口から零れ落ちたかのようで俺は慌てて
「いえ、何でもないです」
と体裁を繕う。
宣告前では単なる不躾な質問だっただろうが、今の時世あってはそれも違った意味を持つ。
静かな湖畔に、いたずらに波を立てるような真似はする気がなかった。
しかしながら女性は作業の手を止め、俺の顔を見て朗らかに笑うと、こう答えた。
「最期まで人間らしく居たいのです」
淀みない言葉だったので、もしかすると幾度となく訪ねられたのかもしれない。
その言葉を聞いたとき、ふと、自分の中で何か腹が据わったような心持がした。
「人間らしく、ですか」
言葉を繰り返したのは女性と話を続けたかったというよりも、自分の中で確認をしたかったからだ。
人間らしく。人間らしく。心の中で幾度もそれを反芻する。
「ええ」
俺の様子を見て、女性はやはり柔らかに笑みを浮かべた。
次の日、俺は久しぶりにスーツへと袖を通し、会社に向かった。
誰も居ないだろうなという思いに反して、会社には常と変わらぬ面々がいた。
「おう、久しぶり」
デスクに座っていた同僚が片手を挙げて微笑んでいる。
「何しに来たんだ?」
底意地悪くにやにやと訪ねてくる同僚に、そういえばこういう奴だったと思い出し、自然に俺も笑う。
「人間らしくしに来たんだ」
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