お題:彼が愛した狼 必須要素:海老のしっぽ 制限時間:1時間 読者:64 人 文字数:3160字 評価:0人

『狼』たち
また、出たんですか――!

彼がそう叫ぶと同時に両の拳は机に叩きつけられていた。震動にバランスを崩した弁当箱が海老のしっぽを離脱させながら落ちるが、床よりも前に彼の足の甲がキャッチした。しかし、続いて同じく落下した資料の山は足一本では支えきれない。どさどさと散乱し、汚い床に撒き散らされる。
それらの資料には、さまざまな死体が乗っていた。老若男女の傾向はないが、どれもこれも酷く損傷していた。

「あー、出たんですか」

欠伸をしながら天井に向けて放たれた後輩の、夜勤明けの言葉など一顧だにせず、彼は送られたばかりの資料に彼は目を通していた。

山中、やぶ蚊を厭わずハイキングにでかけていた親子が死体を発見した。
当初それは野生動物、あるいは山犬などの仕業と思われていたが、調査が進むほどに違うと分かった。

通常、獣が人を襲う場合、被害が大きくなる個所は腕と脚だ。脚は移動を削ぐため、腕は咄嗟に掲げて傷つきやすいためだが、この死体にはどちらも綺麗なものだった。
なにより、傷痕が違った。
人が噛んだ跡、それも噛み千切った跡が、死体から発見された。
生きたまま人を喰らう殺人鬼、通称『狼』である証拠だった。

「県外っすねー」

後輩が彼の後ろから覗き込みながら眠そうに言う。

「発見が遅れた理由ですね」

悔しさを滲ませ、彼は言う。

「今向かったところで、ろくな証拠は残っていないでしょうね」
「でも向かうんすねー」

資料から目を離さないまま、彼は遠出の準備をしていた。

「当然でしょう」

彼はきょとんとした表情で言う。

「私以外の誰があの『狼』に対処できるんですか」
「組織力を信用してないっすねー」
「情熱の差です。伝言を頼みます」
「へーい――ってそれって面倒な説明をこっちに丸投げしてないっすか!?」

彼は寝ぼけて頭の働きが鈍った男を背後に、扉を閉めていた。



座席に座り、電車の発車を待ちながら彼は妻へと連絡を取る。こういう時、たいていは文章で伝えるようにしている。妻は勘が鋭い、声で直接言ったなら、知られたくないことまで伝わってしまう。
夕飯はいらないこと、二三日帰宅できないことなどを我ながら事務的にそっけない調子で書いた。少しばかり気の利いたことを付け足すことができればいいのだが、十分以上頭を捻ったところで出て来ない。これが一時間であっても結果は変わらないとは自覚している。

諦めたように送信し、出発前に駅の売店でペットボトルを買う。ついでにおにぎりも購入しようかと迷う。

「……まだ、新聞には載っていませんか」

ネットではわからないが、紙面をにぎわせるには間に合わなかったようだ。
そう思いながらも、やはり妻に電話せずに良かったと思う。
声は、自身でも誤魔化しようがないほど嬉しそうだった。


『狼』と呼ばれる殺人鬼は、長年つかまらずに犯行を続けている。
ときおり現れては別の場所でまた犯行を行う。
その間隔や地域はバラバラで、完全にランダムなものだった。

しかし、たまの気まぐれか、それとも理由があってのことか、連続して同じ場所で犯行を重ねることがあった。
彼が子供の頃、そうだった。

近所の友達が、被害にあった。
次に学校の先生、向かいの家の家族、そして、彼の親までも。

人が食われたという異常な事態、きわめて狭い地域の連続殺人事件にも関わらず、犯人を突き止めるだけの証拠はなかった。おそろしく冷静で、証拠を残さない犯人だったのだ。
怪しい犯人候補が星の数ほど検挙されたが、そのどれもがホンボシとはならなかった。

「今回も、唾液の痕跡すら無し、これも変わらずですね――」

彼は資料を睨みながら言う。
『狼』の特徴である咬殺跡、明らかに噛み千切っているはずだというのに、唾液の跡すら検出されることはなかった。
実際に自前の歯ではなく、なんらかの特殊な器具を使っているのではないかと推理されるのも、これが理由だ。

けれど――

「そんなわけはないでしょう」

長年、捕まることなく逃げ続けているのは、怪しくないからだ。
見られたところで風景に溶け込み、注目を浴びない、だからこそ、捜査線上に浮かびあがることすらなかった。

痕跡が検出されない理由は知らない。しかし、この『狼』は、自前の歯で犯行を行っているに違いないと彼は確信していた。
死体に残された痕跡、その歯型が彼の説を支持する。
これほどでに生々しく、情念を感じさせる跡が、器具によってつけられるはずがない。

「うん?」

携帯からの震動で、妻からの返答を知る。ついでに後輩からも愚痴まじりの伝達が来ていた。
妻からの細々とした文章はしっかりと読み、部下からのものは読み流した。
そうしていながらも、『狼』の資料をしっかりと読み込む。

「しかし――今回はまた、偉く遠くですね」

何か理由はあるのだろうか。



到着した駅からバスで乗り継ぎ、タクシーを経由し、犯行現場近くの村についたときにはすっかり日も暮れていた。

この村唯一の旅館の主だという男は、まったく愛想がなかった。
おそらく、シーズンにでなれば愛想も良くなるのだろう。ふらりと訪れた一人旅の客などむしろ邪魔だという態度を隠そうともしていなかった。

この辺で殺人事件が起きたんだって?
などと尋ねれば舌打ちが返答ととなることは疑いようがなかった。
布団がしっかりと干されていることや、クーラーが存分に効いていることだけが救いだった。

明日は早くから動かなければならない、彼はそうそうに寝ることにした。

そうして、目を閉じながら、子供の頃のことを思い出す。
彼の近くで起きた連続『狼』事件、だが、この一連の最初の被害者はよく知られているような人間ではなかった。彼だけがそれを知っていた。それを目撃した。

飼っていた犬、仲良しだった愛犬が、食われていた。
間違いなく歯で噛み千切られていた。
誰によって。
むろん、幼馴染によって。
そう、今の妻によってだった。

――私以外の大切なものが、あたなにあるのが、耐えられない――

苦しげにそう言いながら、犯行を重ねた。
彼女は、あるいは『狼』とよばれる一族は、そのような性質を持つらしい。
通常であれば丸ごとに、人一人ぶんを食いきってしまい証拠を残さないのだが、まだ子供だった妻はそれができなかった。結果、半端に残された死体が出来上がり、周囲を騒がせることになった。

「今回も、きっとそうなんでしょうね」

『狼』の誰か、未熟なものが行なった。
彼の妻による犯行ではない、それはもう確認を取った。

だがそれは、放置すれば彼の妻へつながってしまうかもしれないミスではあった。
人間ではないものが、公式に認められてしまいかねない事態だ。

だからこそ、かつて幼いころにそうしたように、そして、今もそうしているように、犯人がつかまらないよう彼は動くのだった。完全に隠蔽し、この連続殺人が「一族によるもの」であることを露見しないようにするために。

目下のところは犯行現場に出向き、致命的な痕跡がないかの確認だろう。
その後、犯人を突き止め、注意もしなければならない。
不用意な殺人は控え、我慢できずにやるのならば完全犯罪をするよう指導するつもりだ。教師役としては妻がいる。場合によっては出向いてもらわなければならないだろう。

「ええ、そうですとも――」

朴訥としていながら、どこか鋭いところのある後輩。
実の所、わずかに彼へ疑いを抱いているらしい相手に向け、布団に横たわりながら独り言のように言う。

「私以上に、『狼』に情熱を向けている人など、いるわけないのですよ」





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