お題:彼が愛した狼 必須要素:海老のしっぽ 制限時間:1時間 読者:44 人 文字数:2308字 評価:0人

剥製
 幸福なまどろみのなかにいた小夜は、遠慮のない力で頬をつねられて飛び起きた。ふわふわの枕になかば顎をうずめて、イリスのいたずらっぽい瞳が顔を覗き込んでいた。
「まるでお姫様のベッドだ」
 イリスの兄が小夜のために用意してくれた寝床は、羽のように軽くてあたたかい。どこもかしこも手触りがよくて、包まれているとすぐに眠りに落ちてしまう。ここを訪ねてきたとき、いつも小夜がすやすや眠っているものだから、こうしてイリスはからかってくるのだ。
「君はお姫様なの?」
 だとか、
「宝物みたいに大事にされてるんだね」
 とか、そういうときのイリスは、心から小夜をバカにしているみたいだ。べつに恋人に大切にされるのは当たり前だし、彼の妹が面白く思ってなかろうが知ったこっちゃない。それでも、勝手にベッドにもぐりこんだイリスが枕元でにやついてるのを見ると、小夜はなんとか毅然とした態度をとらねば、と背筋を伸ばしてしまう。
「今起きようとしてたところよ」
 寝癖ですっかり絡まった巻き髪を、せめて優雅に見えるようはらいのけると、昼の日差しが目に入り込んでくる。もう太陽は高く昇っている。起こされなければ、また一日を眠って過ごすところだった。
 イリスのやわらかい指が、小夜の手を軽く握った。
「ならちょうどよかった。お出かけしましょ」

 屋敷の廊下に並ぶコレクションはまた増えたようだった。すべて、イリスの兄が狩りで仕留めたものだ。剥製や毛皮、動物の角で作った楽器など。全部が近くの森で手に入れたもので、小夜が心地よく使っている毛布や布団も、彼が自分の手で作って、恋人に贈ってくれたのだ。
 イリスの跳ねるような足取りに続いて、廊下を眺めていると、そこに見慣れない作品を発見した。
「ついにやったんだよ。昨日からさんざん、自慢話を聞かされたんだから」
 うんざり、といったイリスの言葉は小夜の耳に入ってこなかった。一瞬、まだ生きているのかと思って、体を固くした。それほど、その狼はいきいきとしていた。四足で立ちはだかり、銀の毛並みを照明に輝かせ、なによりも、まだ意思が残っているような両目で、小夜を睨みつけていた。
 夜の森で、とつぜんに獣に出くわしたように、小夜の身に震えが走った。
 ――なんの冗談だろう?
 彼がきっと、小夜を驚かせるために生きた狼を置いたのだと本気で考えて、どうしてそんなことをするのかと思い悩んだ。イリスといえば、つまらなそうに狼の前脚を踏みつけ、「邪魔なんだよ、場所をとって仕方ない」とぼやくくらいで、小夜と違っておそろしさはちっとも感じていないようだったが。

 町で買い物を済ませて、すっかりごきげんのイリスと、店で軽い食事をとっているときも、小夜はあの狼が気にかかっていた。剥製はひとつじゃない。生きているときの姿を留めた作品なら、ほかにもある。でも、あれは、屋敷にあるどれとも違う感じがした。あれの待つ家に帰るのだと思うと落ち着かず、外出嫌いの小夜にしては珍しく、外で食事をしようなんて提案までしたのだ。
「ねえイリス……」
「なあに、やっぱりさっきの店でドアベルを買えばよかったかな。海老のしっぽとキツネのしっぽ、どっちの形がいいか、結局決められなかったから」
「あの狼、ずっとあのままってわけじゃないよね」
「狼のしっぽがいいの?」
 イリスは自分のしたい話だけをする。剥製の話だよ、と軌道を戻そうとして、小夜は思い直した。ドアベル。それがいい。
「場所をとるって言ってたじゃない。そのうち、毛皮とか、楽器とかにするんでしょ。彼に、あの狼を使ってドアベルを作ってもらえば」
「いいね、こう、チリンと鳴らすたびにふさふさの感触が味わえるんだ」
 名案、とばかりにイリスは目を輝かせた。小夜は内心、ほっと胸をなでおろした。恋人と同じくらいに妹を大切にする彼のことだから、イリスとふたりがかりでなら、聞いてもらえない頼みはない。あのおそろしい狼の剥製は、今晩にでもばらばらにしてもらって、絨毯とか、ドアベルの飾りにしてもらえばいい。
 不安がなくなって、小夜は今晩もよく眠れそうだと思った。

 ……深夜になって、小夜は静かな寝室のベッドで目をぱっちり開いていた。いつだって心地良いはずの寝床に入っているのに、寒気がしてやまなかった。浅い眠りと覚醒を繰り返し、ついに目が冴えてしまった。
「イリス、イリス、起きて」
 今日も今日とて勝手にもぐりこんできたイリスの肩をゆすっても、おだやかな寝息を立てるだけで、目を覚ます気配はない。眠ってばかりいるのは小夜のはずだったのに、どっちがお姫様なのだか、と小夜は恨みがましく思った。
 月の明るい夜だった。
 小夜はひとりきりでベッドを降りて、静まり返った廊下へと出ていった。。
 屋敷の裏手にある森から、狼の遠吠えが聞こえた気がした。それと同時に、廊下の闇のなかから、例の狼の姿がぬっと現れた。照明は落ちている。雲が動いて、月明かりがちょうど差し込んだだけなのに、まるで狼が自ら現れたようで、小夜はまた身震いした。
 狼のかたわらに、人影があった。寄り添うように立つ、小夜の恋人だ。小夜はかすかに息を呑んだ。毛並みを撫でる狩人の目に、まぎれもない親愛が滲んでいた。
「壊してよ」
 小夜は叫ぶように言った。驚いて振り向いた彼は、すこし迷うようなそぶりのあと、「君の望むように」とだけ答え、自分の部屋へ戻っていった。
 狼と残された廊下で、小夜は知らぬ間に膝をついていた。恋人の消えた闇の先を、黙って見つめていた。
 彼は狼に魅了されている。



 

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