お題:小説家の娼婦 必須要素:美しい情景描写 制限時間:1時間 読者:48 人 文字数:3216字 評価:2人

黒歴史的小説
蒸し暑さを風がさらうのを、ぷらぷらと揺らしたサンダルに感じていた。初夏の風はどこか億劫そうだ。
小高い丘で、ただ彼は茫然と空を見上げていた。つい先ほどまで書いていた小説が、一段落したところなのだ。文字の世界に浸っていた脳味噌が、ゆっくりと現実に帰還する。取るに足らぬと意識の片隅に追いやっていた現実の諸々が、輪郭と意味を取戻しつつあった。白い机の上にある紙束、そこに乗せている自身の手の感触、土や草の匂い、小刻みな足音、そして、太陽がジリジリと肌を焼く様子――

ああ、と息を吐いて、彼は凝った肩をぐるぐると回した。詰まっていた血管に血が流れ始めたような感覚と共に強張りが溶けて行く。よほど集中していたらしい。眉間に皺を寄せ、そのむず痒さに耐えた。

「よく、書いたなぁ――」

たしか書き始めは朝日が昇り始める時間帯であったはずだ。
止むにやまれぬ衝動と共に筆を執り、ただ一心不乱に書き綴った。今の自分には、なによりもそれが必要なのだと信じた。

「腹が、減った」

朝食はもとより、水も採っていない。
今更のようにカラカラの喉が意識された。陽光の強さもそれに拍車をかける。

円形の文鎮を置いて、彼はふらふらと丘を下った。考えてみれば、まったくどうしてわざわざ外で書いてたのだろう? 自室ではいけない理由など、何一つ無いはずだった。

いや、そもそも――

「僕が魔術師として熟達していれば、場所なんて関係ないはずなんだよなあ……」

こうして台所で冷たい水を汲んで飲む必要もなく、ぽりぽりとナッツを齧り小腹を満たす意味もない。魔力と魔術が潤沢であれば、動作ひとつ、呪文ひとつで取り寄せてしまえるのだから。
薄暗がりの台所にいる必要もなかったのだ。

慣れ親しんだ自嘲を呟きながら、丘を登り、再び白い机へと向かおうとするが、そこには既に先客がいた。
見間違いなどではなかった。
彼がいた場所に、我がもの顔で腰かけている。

「……おい?」

しかも二人だった。

よお、とばかりに座った内の一人が手を挙げた。もう一人は座ったまま、こちらを向きもしない。ただ熱心に読んでいた、彼が書いたばかりの小説を。

「なにを、している……?」
「読んでいる」

文字を追ったまま一人が読書中だと答えた。

「読んでいた」

挙げた片手の親指だけを立てながら、もう一人が読了済みだと答えた。

「今すぐ出て行け、迷惑な双子ども……ッ!」

そして、彼らは同じ顔をしていた。



「まあまあ、待ってほしい、落ち着こうじゃないか」

拙いながらも自衛の魔術の心得くらいはある。その全てを振り絞ってくれようとサンダルを鳴らす彼の前に、読み終わった方が立ち上がり言った。
その動きだけで、彼は最大限に警戒を高めた。一筋縄ではいかない相手なのだ。

「なにを――」
「私たちは、読者だ」
「違う」
「そう断言するのはどうだろう」
「レストランで盗み食いする奴は客じゃないように、盗み読みをする奴は読者じゃない」
「いやいや、そんな些事などどうでもいい事柄でしかない、なんてことだ、まったく信じられない!」
「なんの話だ」
「素晴らしい出来じゃあないか!」

笑顔で、手を広げながらの言葉だった。
警戒が雲散霧消するほどの、開けっぴろげで心からの言葉だった。

「む――」
「美しい情景描写、きめ細かい心理の揺れ、その場に体験しているかのような文章の連なり、どれをとっても素晴らしい!」
「そ、そうか……?」
「そうだとも! ついつい先走って読んでしまったとしてもまったく罪ではないと思うね。これだけの傑作を前にしては!」
「うんうん」

奥の、今まさに読んでいる方も頷いている。
彼は腕組みをして、顔を限界まで捻り、

「そ、そう……?」

と言った。むろん、どうしようもなくにやけてしまう顔を見せないために。
サンダルでは、足の指がグーとパーを繰り返している。

「わ、我ながら、今回はそこそこ良く書けたような気はしてるけど?」

そう、彼はこの時点で、双子のタチの悪さを完全に失念していた。

「技術面では、君はまったく最高だ、他の追随を許さない、ただ惜しむらくは――」

心底悲しそうに頭を振り。

「どうして話が、娼婦を買いに行ったけど、結局は変えずにスゴスゴと戻ってきたなんて題材なんだい?」
「なにを書こうが勝手だろう!?」
「しかも長々と情景や心理に描写を費やし、肝心要の娼館の場面はとんでもなくあっさりしているじゃあないか。路地に入る場面では煉瓦のひび割れすら書いていたというのに、到着した途端に、とってもおおきい、とってもきれい、なんかすごかった、ではまったく伝わらないんだよ?」
「仕方ないだろう! そんな余裕なんてあの時は――」
「あの時?」
「い、いや……」
「ひょっとしてこれはノンフィクション?」
「断じて違う」

彼は真正面から睨みつけながら言った。

「これは、小説だ。想像の中の出来事でしかない」
「ふむ、そうかね?」

読んでいる方が、ぽつりと気づいたように呟く。

「やたらと微に入り細に入って描写されてるこの娼婦、たしか前に行った時、僕の相手をしてくれた――」
「そおいうこと言うのやめないかなあ!」
「どうして?」
「なんか気まずくなるじゃないかあッ!」
「フィクションなのだろう?」
「フィクションだよ、フィクションだけれどさあ!」

なんでだろう、不思議だね、という双子の表情だが、もちろん、真意とは裏腹だ。とっくに気づかれてる、それは彼にもわかっていた。わかってはいたが、それでも貫き通さねばならないものがある。

彼の真剣極まりない顔に、困ったように手を広げ言う。

「まあ、ともあれこれは、ただの小説、そういうことなのだね?」
「ああ、そうだよ」
「決して、直前になって怖気づいて引き返してしまったことを後悔し、今度こそは失敗しないようにと、次に向けてシミュレーションするために書いたものではないのだね?」
「無論!」

右を向きながら叫んだ。

「ふむ、しかし、創作とは偉大なものだね」
「何の話だ」
「私たちの得意な魔術は、何だろうか?」
「幻術の類だろう」

だからこそ、即座に攻撃を放つことをしなかった。
火弾を撃ったつもりが、紙束を燃やしたことになりかねないからだ。

「そう、私たちは幻を扱う。単純なものはそれこそ子供だましでしかないが、熟達すればそれは芸術の域へと達する。いかに騙すか、これを目指すのは文章も幻術も代わりは無い。そうは思わないかね?」
「知らん」

それより、今すぐ出て行けという意を込めて睨む。

「ところで昨夜、君の姿を見掛けてね?」
「む?」
「なにやら悩んでいたようだったから、私たちは思ったのだよ、決意したのだよ」
「うんうん」

何時の間にやら読み終わった方も頷いていた。

「幻術で、君の初体験を騙せたら、なんか面白そうだなぁ、と」
「ヘタレて逃げ出すとは思わなかったけど」
「……は?」

困ったように双子は言う。

「いやあ、大変だったのだよ? 方向感覚を狂わせ、ただの空き家に幻術を被せ、それらしい雰囲気を作り、ニオイまでもをごまかしてだね」
「ああ、それと君に触れたのは僕だった。感触でわからないものなんだね。君、こんなにも僕を褒めるとか」
「つ、つまり?」
「あの娼館は、私たちの作品であり、幻だ」
「こうして小説にもなったのだし、無駄ではなかったのかな、うん、良い出来だった。僕らのも、君のも」

夏の風が、吹き抜けた。
双子は笑顔だった。とてもいい笑顔だった。

「……」

彼は無言のまま、手をかかげ――

「今すぐそれをもやさせろぉお!!?」
「はは、断る」
「じゃーねー」

幻を多く展開し、逃げ去る双子と悪夢に攻撃を仕掛けた。


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