お題:冷たい兄 必須要素:全力のグロテスク 制限時間:1時間 読者:126 人 文字数:4500字 評価:2人

しーちゃんの、くさくて冷たいお兄ちゃん
 しーちゃんはわたしの友達で、よく我が家に遊びに来ていた。
 両親が忙しい人らしく、遅くまで帰ってこないとかで、結構遅くまで――と言っても小学生のことなので午後六時くらいだが――うちで遊んでいることが多かった。

 そんなある時、しーちゃんが珍しくわたしを家に呼んでくれた。
「すごく迷ったんだけどね、あっちゃんならいいかなって」
 クラスメイトでも、しーちゃんの家に遊びに行ったことのある子はいない。何だかわたしはしーちゃんに認められたような気がして、誇らしかった。
「家に来るにあたって、一つ注意があります」
 しーちゃんは改まったような口調を作った。
「お兄ちゃんがいるんだけどね、すごく冷たいの。だけど、変に思わないでね」
 そうなんだ、お兄ちゃんがいるんだ。初めて聞くしーちゃんの家庭の事情に、わたしはいよいよ家を訪ねるのか、とちょっとドキドキしてきた。

 しーちゃんの家は、学区の端も端、かなりギリギリのところにある。
 二階建ての家が三軒繋がっていて、後で知ったところによると、これはテラスハウスというらしい。
 外観は新しそうに見えたが、「かべを変えただけだから、中はぼろいよ」としーちゃんは大人びた言い方で謙遜した。
 家に上がると、確かに古いにおいがした。同時に、ちょっと嗅いだことのないようなにおいもしてくる。有体に言うと、そっちは臭かった。しーちゃんはいつも、ちょっとカレーみたいなにおいがするので、こんな臭い感じのする家に住んでいるとは思わなかった。
「ちょっと臭うでしょ?」
 やだよね、としーちゃんは眉を下げた。
「お兄ちゃんなんだ。そこの部屋にいるから、においがわかるんだよね」
 玄関入ってすぐのドアをしーちゃんは指した。
「お兄ちゃん、におうの?」
 そ、としーちゃんは表情を変えずに続ける。
「冷たくてくっさいの」
 何だかお兄さんが悪く言われているのが申し訳ないみたいで、ちょっと居心地の悪さを感じた。

 しーちゃんの部屋は、二階の奥だった。手前側にも部屋があって、そっちはお父さんとお母さんの寝室らしい。
「お父さんもお母さんも、なかなか帰ってこないけどね」
「何時ごろに帰ってくるの?」
 それは、わたしとしては何時までこの家にいていいのか、という意味の質問でもあった。
 でも、しーちゃんから帰ってきた答えは違っていた。
「さあ……? 帰ってくるとなると昼間が多いけど、その時によって違うからな」
「待って、毎日帰ってきてないの?」
 そうだよ、と何を当たり前なと言うような顔でしーちゃんはうなずく。
「うちはそうなんだ。タヒチとかの方に行くと、一か月とか二か月は帰ってこない」
 たひち、という地名が外国なのだと知ったのは、中学に上がってからだった。それまでは「田七」とか「多比地」とか書くような、日本の地名だと思っていた。
「大変だね、じゃあ……」
「そう、大変。くさくて冷たいお兄ちゃんの世話をしなきゃだし」
 お兄ちゃんはしーちゃんの世話を焼いてくれないらしい。
「冷たいからね、しないんだよ」
 そんな話をした後、わたしはしーちゃんと一緒にゲームをした。
 ほとんどやったことのない、銃で怪物を撃つ怖いゲームだった。映画になったこともあると、しーちゃんは言っていて、有名な作品らしい。確かに、怖かったけど面白かった。

 ゲームの途中で、わたしはトイレに行きたくなる。
「階段下りて右だよ」
 しーちゃんは画面の中の怪物を撃ち殺しながら言った。
「お兄ちゃんの部屋には気をつけてね。におうから、間違えて入っちゃうかもしれないし」
「そんなことないよ。階段の右でしょ」
 しーちゃんのお兄ちゃんの部屋は左側だ。それに、くさいと言ってもトイレのくささじゃない。これまで嗅いだことのないタイプのくささだった。
 階段を降りたわたしは、間違えずにトイレに入る。
 用を足して廊下に出てドアを閉めた時、背後から強烈なあのくささが漂ってきていることに気が付いた。
 何!? と後ろを振り向いて、わたしは悲鳴を上げた。
 そこに立っていたのは、ボロボロの服を着た人間だった。緑っぽい色に変色した肌で、体中に血の痕がついている。真っ黒な目の中には目玉がなくて、どす黒いただの穴になっていた。
 そして、猛烈にくさい。鼻をにおいの槍でつつかれたみたいだ。槍はそのまま入ってきて、わたしの口から喉に入り、胃の中で暴れ回る。
「オェッ……」
 しーちゃんの家だということも忘れて、わたしは吐いてしまった。給食のけんちん汁や中華風サラダ、わかめごはんの混じったぐちゃぐちゃが黄色がかった白い液体と一緒に廊下にぶちまけられる。
「ううう、ああ、あ……」
 お腹を押さえてうずくまったわたしの上から、唸るような声が聞こえる。くさい、血まみれの、謎の男、多分しーちゃんのお兄ちゃんだと思う人は、よたよたと体を揺らしている。
 わたしからはお兄ちゃんっぽい人の足しか見えないが、この人はどうも膝小僧が曲がらないみたいだった。ピンとした一本の棒きれみたいだった。
「どうしたの?」
 悲鳴を聞きつけたはずなのに、しーちゃんはのん気に階段を降りてくる。
「し、しーちゃん、こ、これ、その、え、あの……」
 わたしはゲロを弁解したらいいのか、この目の前にいるお兄ちゃんっぽい人をお兄ちゃんとして確定させたらいいのか、それとも他の何かをすべきなのか、わからなくなって言葉に詰まった。
「いいよ、廊下のヤツは。そういうのは、お兄ちゃんが何とかするからさ」
 この一言ですべてが解決したので、わたしは慌てた頭の片隅で、しーちゃんって心が読めるんじゃないかな、とふと思った。
「ほら、お兄ちゃん、ご飯よ」
 しーちゃんは廊下に降りて、お兄ちゃんの足を蹴った。棒っきれみたいな足を蹴飛ばされて、お兄ちゃんは前のめりに倒れる。それはつまり、顔面がわたしの生産した給食の「胃液和え」に突っ込むことを意味する。
「おああああ……」
 お兄ちゃんは一声唸ると、すぐにズズズズと音をたてはじめた。
 吸ってる、この人、わたしのゲロを――!
「ウェップ……」
 わたしはもう一度吐いた。形の分かるものはほぼない、ただの白い胃液を。胃液をすするお兄ちゃんの後頭部へ。
「やったねお兄ちゃん、あっちゃんがおかわりくれたよ」
 しーちゃんはお兄ちゃんの背中を踏みつけながら言った。お兄ちゃんは相変わらずズズズとわたしのゲロをすすっている。
 やがてお兄ちゃんが顔を上げると、廊下のゲロは完全になくなっていた。腕の様子を見るに、この人は肘も曲がらないようだ。
 しーちゃんは雑巾を持ってきて、お兄ちゃんの後頭部、つまりわたしの白いゲロを拭いた。そして、その雑巾をお兄ちゃんの口に突っ込む。
「ほら、おやつよ」
 お兄ちゃんは唸りながら雑巾をもぐもぐしている。
「あ、あの、その……」
 わたしはちょっとゲロのついた服と口元のまま、震えながら尋ねる。しーちゃんは見かねたようで、今度はタオルを取ってきて、わたしの口元を拭いてくれた。
「うちのお兄ちゃん、くさくて冷たいって言ったじゃん」
 ほら、とお兄ちゃん手を取り、わたしの手の甲に載せた。
「ひゃっ!?」
 カエルのお腹を触った時のような感触だ。ぶにぶにしていて、人間の皮膚じゃないみたいな冷たさだった。
「お、お兄さんは、その、一体、なんなの……?」
「ゾンビだよ」
 それはさっきまでやっていたゲームに出てきた怪物の名前だった。

 しーちゃんによると、しーちゃんのお父さんとお母さんはゾンビ職人らしい。
「タヒチには何人もいるんだよ。この粉を死体にかけて作るの」
 しーちゃんは、カレーっぽい匂いのする黄色い粉を持ってきた。有名な洋菓子屋さんのプリンの瓶に入れてある。
 ゾンビというと、さっきやってたゲームではウィルスのせいで人がゾンビになったとか、言っていたけれど、しーちゃんのご両親がやっているのは、死人を生き返らせる「伝統的な」ものだという。
「じゃ、じゃあ、お兄さんは一度、し、死んで……」
「そだよ」
 軽くしーちゃんは言った。
「腕とか足の関節、曲がんないでしょ? これね、シゴコーチョクって言うんだって」
 おっかしいよねー、としーちゃんは笑ったけど、わたしには何が面白かったのかわからなかったから、お父さんの駄洒落にそうするみたいに、お愛想を顔に浮かべた。
「ていうか、わたしが『お兄ちゃん欲しい』って言ったら、お父さんもお母さんも困っちゃって」
 弟か妹なら一年後ぐらいに用意しようと思えばできるが、と言ったそうだ。
「下はいらないよ、って言ったら、この死体を連れてきてくれたんだ」
「え、じゃあ、血のつながりは……?」
「ないよ。ゾンビの名前がお兄ちゃんってだけで、赤の他人」
 ね、と言いながらしーちゃんは何故か手にしていたスコップの裏で、お兄ちゃんの後頭部を叩いた。ぐしゃ、と嫌な音がしてお兄ちゃんの頭の中身が廊下に飛び散る。
 目の前に脳みその一部が転がってきて、ゼリーみたいにプルンと揺れた。わたしはまた吐きそうになるのを我慢する。
「畳間でやると怒られるの。掃除が大変だからって」
 廊下はフローリングだった。
「わたし、こうするのすごく好きでさ」
 今度はしーちゃんはスコップの先でお兄ちゃんの胸をザクザクと突く。まるで土を掘るかのように、冷たくくさいお兄ちゃんの肉がえぐられ飛び散っていく。
 冷たい肉片が頬に飛んできて、わたしは慌ててそれを取った。
「うわーあーあー……」
 どこか間の抜けたような声を上げてお兄ちゃんが倒れた。
「もう死んだか。いやま、死んでんだけどさ」
「だ、大丈夫なの?」
 ヘーキ、ヘーキ、としーちゃんは瓶詰の粉を取り出す。
「これをかけてやると、ゾンビなんてすぐに治っちゃうの」
 ほら、という言葉通り、黄色い粉がしーちゃんのつけた傷、穴だらけの胸や半分無くなって脳みそが露出した頭なんかにかかると、たちどころに塞がっていく。
 三分もしない内に、お兄ちゃんは元の姿に戻った。
「ね、面白いでしょ? くさくて冷たいけど」
 そう言ってほほ笑むしーちゃんの顔は無邪気で、だけどその瞳はこの子のお兄ちゃんの肌よりも冷たく思えた。
 いつか、しーちゃんはこの目でわたしを見ることがあるだろう。その時、わたしはゾンビで、ご両親のあとをついで立派なゾンビ職人になったしーちゃんは、お兄ちゃんにしたみたいに甚振るのだ。スコップや、バールや、ナイフや、あるいはマシンガンなんかを使って。
 「小学校の時よく家に行ったよね」とか、「あの頃国語のテストわたしよりよかったけど、ゾンビになったらもうそんな脳みそもぶちまけることにしか使えないね」とか、「わたしん家の廊下でゲロ吐いてたけど、今やお前の見た目がゲロまみれみたいなもんだよね」とか、罵りながら。
 そんな未来が来ることを、理解させられた気がした。
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