お題:有名な昼 必須要素:唾液 制限時間:1時間 読者:53 人 文字数:4200字 評価:1人

よろこばせる
 いくら美人が作ってるからって、こんなのは異常だ。
 佐々木フミカはスパイスの臭気漂う会議室を見渡した。

 フミカの勤める会社は、お昼時になると二つある会議室の内の一つを、ランチ用に開放する。弁当を持参したものはここに集まって食べるのだ。
 フミカの勤めるここは50人もいないような小さな会社で、男性社員の比率が非常に高い。それゆえか、外に出て食べるものがほとんどだ。会議室は数少ない女性社員、フミカと2人のベテラン事務員が占拠していた。
 それは去年までの話だ。
 今年に入って、この会議室にやってくる男性社員の数が増えた。
 別に弁当男子が増えたわけではない。
 彼らが持ち込んでくるのは、プラスチックの容器に入ったカレーライスであった。
「近くにケータリングのトラックが来てるんだよ。みんなそこでカレーを買ってるんだ」
 そのトラックがやってくるのは、火曜日と木曜日の週に二回。この二つの曜日は、事務のおばちゃんとフミカの三人きりの平和な会議室がごった返す。
「このカレーくさいの、何とかなんないの?」
 ベテラン事務員の内、年上の方である大内さんは露骨に顔をしかめる。
「そうよねぇ、みんなそろいもそろってカレーだなんて」
 掃除が大変、ともう一人の小山さんも同調する。
「そんなに美味しいんですかね?」
 業種にもよるのだろうが、ビジネスマンというのは大抵早食いだ。この会社の男性陣も、それは同じである。だが、どうにもカレーを食べる勢いが常軌を逸しているように見えた。
「佐々木ちゃん、あなた一回買ってみてよ?」
「そうそう、若いんだから何でも挑戦よ」
 大内さんはすぐに「挑戦」という言葉を使って、フミカをコントロールしようとしてくる。逆らうと面倒くさいので、その次の木曜日にフミカは件のカレーを買ってみることにした。
 昼休みになって、外に出てみて驚いた。
 ワーゲンバス風の改造がなされたミニバンに並ぶ、長蛇の列。中にはフミカの会社の社員の顔が目立つが、他の会社からも買いに来ているのだろうビジネスマンばかりだ。
 しかも、全員が男。
 こりゃまたとんでもない絵面ね、とフミカはため息をついて踵を返した。
「えー、そんなに……」
 話を聞いて小山さんはうんざりしたような様子で言った。
「アレはとても買えませんよ」
「うーん、ちょっと食べたくなっちゃうよね」
「そうかい?」
 小山さんの言葉に、大内さんは首を横に振った。
「男ばっかりなんだろ? じゃあ決まってるって、カレーの味が目当てじゃない」
「あー、なるほど……看板娘みたいな?」
 そうそう、と大内さんは嘲りの混じった笑みを浮かべる。
「うちは色気がないからねぇ。男どもはみんな、そっちに行っちゃうんだよ」
 大内さんの言葉が、ちくりとフミカの胸を刺した。
「佐々木ちゃんもいるのにね」
 フォローのつもりなのだろうか、小山さんの言葉は刺さった棘を深く押し入れてくる。
 フミカは、ただ笑って誤魔化すしかなかった。

「うん、めっちゃ美人! ……らしいよ」
「らしい、ですか」
 うん、と中村はうなずいた。
 中村はフミカと同期入社で、男性陣ではこの会社で一番若い。何かと上から無理を押し付けられているようだが、体育会系持ち前の奴隷根性――とフミカは思っている――を発揮して、何とかその荒波に耐えている。
 他のおじさん達に比べれば話しかけやすいので、フミカの数少ない話し相手でもある。
「俺は買いに行っちゃダメって言われてんだよ」
「え、どうして?」
 よくパシリをさせられているというのに、とこれは口には出さなかった。
「若い男は近寄らせたくないんだろ、って……これはシゲルさんの受け売りだけど」
 シゲルさんは中村の直上の上司だ。中村の次に若い世代で、つまり中村が来るまでは彼の役割を負っていた人間だ。上からくる無理難題を選別し中村に振り分けることで、「少しずつ負荷を掛けながら鍛えてくれている」という。
 そう言えば、シゲルさんも中村も会議室で見たことがない。小山さんはシゲルさんがお気に入りなので、「来ないのかなー」とボヤいていたことがあった。
「中村くんより、シゲルさんを近寄らせたくないんじゃないですか?」
「あ、ひどいな佐々木ちゃん。俺だって、学生の頃はアイドルぽいって言われてたんだぜ?」
 売れない若手演歌歌手と言った方がよさそうなくせに、とこれは昔言ったのでフミカは改めて言う必要もないか、と引っ込めた。

 そんなに美人と言われたら、少し見てみたい。
 次の火曜日、昼休みになるとフミカはまたケータリングのバンへ向かった。
 相変わらずのスーツの列を横目に、バンへ近づく。
「はい、チーズカレーですね。いつもありがとうございます」
 バンの中から、ちょうど店主の女が顔を出した。
 鼻筋の通った、色の白い女。なるほど、これは美人だ。フミカは気付かずに息を飲んだ。そのまま、彼女の立ち振る舞いをボーっと見てしまう。
 愛想のいい柔和な笑み、丁寧な接客ときびきびした動き、お釣りを渡すのに手なんか握られて、少し気持ち悪い感じの中年男性が――フミカの会社の営業部長だった――鼻の下を伸ばしている。
「ごめんなさい、今日はもう終わりですー」
 女がそう呼びかけて、残っていた10人ほどが残念そうに去っていく。そこでふと、彼女と目があった。ドキリとしてフミカは視線を外す。
「あなた、ずっと見ていたわね」
 女は車から出て、フミカに近付いてきた。
「××の子かしら?」
「な、何で……」
 社名を言い当てられて怯むフミカに、女はにっこりとほほ笑む。そしてフミカのお腹の辺りを指した。そうだ、名札をぶら下げたままだった。そこには当然、社名も入っている。
「××の人たちは、みんなわたしのカレーを気に入ってくれてるみたいで、よかったわ」
 そして、その理由がわかった。そう言いながら、女はフミカの頬に触れる。ひんやりとした白く長い指の感触に、フミカは背筋がゾクリとした。
「あなたみたいなのしか、いないのね」
「え……?」
「女の子。他は、おばさんばかりなのでしょう?」
 女の微笑みは、同性のフミカでもドキリとするような妖艶さであった。
 だが、それ故に浅ましくも見える。特に、こんな真昼間のオフィス街には似合わない。
「わたしの料理は、男の人をよろこばせる。特に、飢えている人たちにはね」
 「よろこばせる」は、無邪気な意味ではないだろう。「飢えている」もお腹の話ではあるまい。
 何なんだ、この女は。めまいを振り払って、フミカは女の目をまっすぐ見返す。
「あなたじゃ、あの人たちを満足させられないのよ。壁の花どころか、ぼうっきれみたいな女の子じゃあねぇ……」
「あなたに……!」
 フミカは唇を噛んだ。
「あなたに、何でそんなことを言われなくちゃならないんですか!?」
 短大を出て今の会社に就職した時、自分の能力が求められたのだと思っていた。
 しかし、本当は違った。求められていたのは「女性」であることだった。
 数多くいる独身男性社員の、妻になること。それがフミカに課せられた「業務」だったのだ。
(そうじゃなきゃ、あたしらみたいなおばさんでいいんだよ)
 ミスをした時、大内さんに言われた言葉が蘇る。
(こんなケツの青いガキを雇うのはさ、男どもをよろこばせるためでしかないんだよ)
 あんたはダメみたいだ、と大内さんは断じる。フミカは地味すぎる、とも言った。
(なら、能力の方、そっちをがんばんなさい。おばちゃん達の時と今じゃ、時代は変わってきてるんだからさ)
 こっそりと、小山さんはそう囁いてくれた。表向きは大内さんに同調しながらも、こちらのベテランは違うものを見ているのだ。
 フミカが女に叫んだのは、大内さんや会社に対する気持ちだ。彼女らには遠慮しなくちゃいけないが、こんな見ず知らずの女にはそうしてやる必要は毛頭ない。
「わたしは、事務員です。仕事をするために会社にいる。男の人をよろこばせるためじゃない!」
 女は首を傾げた。フミカの言っていることが、わからないと言うように。
「でもあなた、欲しいわよね?」
 男をよろこばせる力が。どんな男も、トリコにできる力が。
 女の目の色が深い闇に染まった気がした。その闇が、フミカの中に飛び込んでくる。
「好きな男、いるんでしょう? 好きだけど、振り向いてくれない男が……」
 フミカは荒い息を吐き、胸を押さえた。苦しい。こじ開けられていくようだった。
「あなた、今夜わたしの所に来なさい。男をよろこばせる方法が、知りたければね……」

 フミカはその夜、女の下を訪ねていた。
 どこに住んでいるのか聞いたわけでもないのに、足が自然とそちらに向いた。
「いらっしゃい」
 ケータリングのバンが停まっているのは、小さな飲食店の前だった。その上は住宅になっており、女はそこに住んでいるようだった。
「昔はここでやっていたのだけど、移動販売も面白いと思ってね」
 色んな男の人を虜にできるから。フミカは唾を飲み込んで、女の家に足を踏み入れる。
 女はフミカを寝室のような場所に案内する。
 促されるまま、フミカがベッドに横になると、女がその上に覆いかぶさってくる。抵抗することなく、フミカはそれを受け入れる。虚ろな目で、女の唇を吸った。
 じゅるじゅると音を立てて、女の口からフミカの中に唾液が流れ込んでくる。
 ああ、とフミカは脳天まで突き抜けてくる何かを感じていた。
 これだ、これがカレーに入っているんだ。たっぷりと、とろとろに煮込まれて。
 フミカの脳裏に、カレーにがっつく会社の男たちの像が浮かぶ。彼らがむしゃぶりついているのは、この女の体なのだ――。


「小山さん、不機嫌ね」
 大内に言われて、小山は「そうでもないよ」と誤魔化した。
 ちらりとオフィスの方を見やると、若手の中村がボーっとしていた。
「あたしより、中村くんの方が重傷よ」
「みたいねー」
 好きだったのかね、佐々木ちゃんのこと。大内は肩をすくめる。
「あ、もう佐々木じゃなくて、伊藤だったっけ」
 佐々木フミカが伊藤シゲルと結婚したのは、つい二週間前のことであった。
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