お題:汚い狸 制限時間:2時間 読者:64 人 文字数:2175字

狸は今日も煙を吐く
大村健人は人には見えないものが見えた。
観念的な話ではなく、字義通りに人とは異なるものが見えるのである。
それは人の影のようなものが中空を平然と歩く姿だったり、宵闇の中でぼんやりと灯る火の玉であったりした。

自身の眼が常人のそれとは異なる物を映していることを自覚したのは健人が小学校中学年になってのことだ。

当時は秘密基地に憧れていた。
秘密という言葉を聴くだけで何か特別な物のように思え、基地という言葉がとてもかっこよく耳に響いた。
その二つが合わさっているのだから考えなど一つだ、自分も作るしかない。


丁度よく健人の家の裏が山になっていたのもあり、その時仲の良かった友達を誘って基地を作り始めた。

皆で資材を持ち寄り、一見しただけでは見つけられない奥まった場所に基地を建てた。
一番距離が近いのは無論健人だったため、一番秘密基地を利用したし、一番資材を持ち込んだ。

皆が帰る中一人だけ残っていることも珍しくはなかったが、取り立てて寂しいというような感情は湧かなかった。
自分の部屋以外の自分の場所を、自らの手で作り出したという愛着があったし、一人森の中で木立のさざめきを聞きながら呆けるのもなんだか性に合った。

それから暫くしてのことだ。
物珍しさも失せたのか友人たちはすっかり秘密基地に寄り付かなくなった。

健人だけは気の向いたときに足を運んでいたその折に、一匹の狸と出会った。
日が暮れはじめ、そろそろ帰ろうかと考えていた矢先のことだ。

「タヌキ?」

秘密基地を森に立てて暫くしても、健人は動物の類を目にした試しがなかった。
人気があるのを嫌ったのか分からないが、何かしらの音が聞こえることはあれど姿を見たのは初めての事だ。

ちょっとした警戒を抱いて狸から目を外さずにじっと見ていると、そこで驚くようなことが起こった。

「なんでえ兄ちゃん、じっとこっちを見てよぉ。挨拶もなしかい?」

世の辛酸を酒とともに飲み下したかのような、しゃがれた声で狸が喋った。

「しゃ、しゃしゃしゃべ!?」

慌てて尻もちをついた健人を見て、狸は人間らしく眉を顰める。

「狸が喋っちゃおかしいのか? 人間が喋るんだからそりゃあ狸も喋るだろうよ。失礼な奴だ」

狸は腰を抜かした健人の腹に器用に飛び乗ると、目を細めてまじまじと顔を見つめてくる。
一見するとかわいい顔をしていたが、その顔から酒ヤケのような声が出るのを聴くとどうにもちぐはくに思えた。

「ああ、お前さんモグリだな。俺みたいな奴を見るのは初めてか。こいつぁいけねえ」

狸は二本足で器用に立つと腕を組んでうんうんと唸る。
いい加減状況にも馴れが出てきたのか、腹に乗られているのがいやに重く感じる。

「お前さんみてえな奴はこっち側に迂闊に入り込みやすい。しゃあねえ、俺がちょいと節介焼いてやろうじゃねえか」

「は? 節介?」

「おうよ、夜の世界の歩き方ってやつだ」

狸が小さい手をこちらにちょいと差し出してきたので健人は習ってその手を掴む。

「違う違う、握手じゃねえよ。分かるだろ? 教わるんだぜ? 紙煙草の一本位は寄越したって罰は当たらねえだろ」

「んな!? 狸のくせに煙草吸うのかよ!」

「癖にってなんだよ、狸が煙吸っちゃあわりいのか」

狸はおもむろに後ろの毛皮へ手を突っ込む。
ごそごそと何かを探すような仕草をするとすぽっと何やら毛皮から引き抜いた。
マッチと、それから一本の煙草だ。

「躾のなってねえガキだぜ」

器用にマッチを擦って火を点け、煙草に灯す。
旨そうに煙を燻らせる姿は到底狸には見えない。

「ま、取り敢えず物が見えすぎる奴の心構えってのを教えてやっから明日っから煙草持って来いよ、一本でいい。格安だぞ」

「なんて・・・」

「うん?」

「なんて・・・性根が汚い狸・・・」

「うるせえ」

実にケチ臭い狸ではあったが、煙を好む偏屈な狸だけあって教え自体は有用なものだった。
危険な物に出会わない方法から、出会った場合の対処まで狸は雄弁に物を語ったし、時には健人のまだ知らぬ世俗や一般的な常識まで説いて見せた。

健人が今まで健常に生きられたのは一重に狸のお蔭と言って良い。

それから幾ばくかの時が流れ、健人自身にも良識が付いた頃。健人は以前から気になっていたことを一つ、煙草と引き換えに質問した。

「お前ってさ、教え方上手いし妙に人慣れしてるけど・・・もしかして俺の前にも誰かに教えたりしてたのか」

「うん?」

健人の問いに狸は首を傾げると、当が得たように膝を叩き呵々と笑った。

「なんだ、気付いてなかったのか。演技だよ、演技。お前みてえな狸と喋れる人間なんざ、俺も見たのは初めてだ」

「んな! だましてたのかよ!」

「目の前で煙草がうろついてんだ。そりゃ、吸うだろ?」

当然なことだと言わんばかりに、狸は景気よく煙を吐いた。

「お前って・・・ほんと、汚い狸だな」

狸に対して抱いていた尊敬の念がさらさらと音を立てて崩れていくのを感じる。
狸は肩を落とした健人を見るとにやっと不敵な笑みを浮かべる。

「ちがいねえ」

天に煙を吐きつけた狸は、今日も実に旨そうに健人が持ってきた一本を吸っていた。






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