お題:8月の体験 制限時間:2時間 読者:19 人 文字数:3244字

夕暮れの記憶
「ねぇ、もう帰ろうよ」
カナカナカナカナ、ひぐらしの声が僕を不安にさせる。
「もう少し、あたしここにいたい」
「僕はもう帰りたいよ」
僕はその時、理奈の手を離した。

隣にいた理奈はいなくなっていた。

僕は、一瞬にして消えた理奈のぬくもりを手探りに探したけど何も掴めなかった。
怖くなった僕は、そのまま家に帰って動揺する気持ちのまま両親に話した。
捜索活動は続いた。一週間しても理奈は見つからず、神隠し何て言われて理奈のことは忘れられていった。
町外れの寂れた神社。
今じゃもう、神様さえいないだろう。
理奈が神様になってしまっていなければ。

その日は夏祭りがあった。
夕暮れの差し掛かった山の袂で、ちらちらと点り行く提灯を二人で眺めていた。
神隠しは夕暮れに起こりやすいってどこからか聞いた時、理奈は本当に連れてかれたのかもしれないと思った。
今なら僕もいっそうつれていって欲しかった。
理奈は今も変わらず、少女のままどこかをさまよっているのかもしれない。
僕も理奈と一緒に子供のままでいたかった。
そう思うのは僕ももう大人の仲間入りなのかな。
ねぇ、理奈。

パソコンに向かって誰かに謝ったり媚びたりして、日々が過ぎていく。張り付いた笑顔。
家に帰れば、大切な女性が僕を迎えてくれる。
不満が全然ない訳じゃないけれど、ありふれていて幸せな人生。
「おかえり、雅也」
「ただいま、優香」
この人と一緒にいたいと思った。この人とずっと一緒にいられるならきっと幸せだろうと。
僕らは、2ヶ月後に結婚式をあげる。
これまでに無い幸せがきっと僕らを待っているんだ。
夜、優香の柔らかい肌を感じながら、ふと理奈のことを思い出した。彼女を抱きながら理奈を思い出すなんて、申し訳ない気分になったが、思い出さずにはいられなかった。
今日は、8月10日。夏祭りは、今週の日曜日に確かあった。
「良かったら、一緒に夏祭りに行きたいな。地元のなんだけど」
半分眠そうな顔をした優香は、必死に目をあけながら
「いいね、夏祭り好きだよ」
とふんわり笑った。
その仕草があまりにも可愛くて僕はぎゅっと彼女を抱き締める。
その心地の良い熱に僕も眠気を誘われて、ゆっくり眠りに落ちた。瞼の裏か表か、あの時のひぐらしの音が僕の中に響いた。

突然帰ってきた僕に、両親は驚いて忙しなくしなくても良いご馳走の準備を始めた。
優香里は気を回して、ご馳走の準備を手伝い始めた。
「母さん、良いってば」
「そんなこと言ったって、夏祭りにろくな屋台でないでしょ」
「そうだったっけ?」
僕は、そういいながらスニーカーの靴紐を結ぶ。
「雅也、どこかいくの?」
「うん、夕暮れには戻るから。うちで待ってて」
優香は、気を付けてと微笑んだ。
天ぷらが上がる音がする。母さん張り切ってるなあ。
母さんは、よく裏山で取れる山菜を天ぷらにしていた。一番好きなのは、ふきのとう。
あれは、春先にしかとれないから期間限定で、レア感もあって、よく食べていた。
理奈もふきのとうが好きだった。苦いとか言いながらも、ふきのとうを選んで食べていた。
理奈と僕はいつも一緒に、なにかを食べたり遊んだりしていた。

夕暮れに差し掛かった頃、僕はあの日以来近づかなかった神社に来ていた。
少し高台にあるこの神社から、昔と変わらない提灯の灯しが見えた。
「理奈」
思わず口にした名前は、優香でも母さんでもなかった。理奈、もし、僕も一緒に連れてってくれたなら。
「雅也くん」
僕は、後ろを振り向いた。
間違いなく理奈の声だった。
少女のままの理奈の声が。
「理奈?いるの?」
「雅也くん、あたしはここにいるよ」
理奈の声が聞こえるのに、理奈は見えない。
「理奈、ごめん。僕、理奈が見えないみたいなんだ」
「雅也くん、それは当たり前のことだよ。雅也くんは大人になったんだもの」
何か悟りを含んだ子供の声が当時と同じくらいの高さから聞こえる。
「理奈はどこにいっていたの?」
「理奈はね」
理奈はしばらく考えるように、黙った。
「理奈、雅也くんとお祭りに行きたいな」
「お祭り?いいよ。好きなもの買ってあげるよ」
「理奈はなにも要らないよ」
左手が何かにぐいっと引っ張られる。
僕は引っ張られるまま、
短い足と小さな手を一生懸命に振って、理奈に着いていった。
「速いよ、理奈ちゃん」
「雅也くん、遅いよー!お祭り終わっちゃうよ」
理奈ちゃんが走っていってしまう。僕は、慌てて理奈ちゃんについていく。
「雅也くんなに食べたい?理奈、お手伝い頑張ったから雅也くんに何か買ってあげるよ」
「え!本当に?どうしようかなー、僕、理奈ちゃんと一緒に食べられるものが良いな」
理奈ちゃんは、うーんと考えて、
「じゃあ、わたあめにしよう」
と戦隊ものが書かれたわたあめを一つ選んで、少し背伸びをしてお金を出す。
僕らはベンチに座ってわたあめを二人でかじった。ふわふわで口に入れるとスッと溶けていく。夢を口の中に入れている気分だ。
とても幸せでこれがずっと続けばいいと僕は本当に思っていた。
「雅也くん、花火見よう」
「うん、花火見よう」
空はいつのまにか紺色一色に塗り立てられている。僕らは紺の空に上がる花を楽しみに、またあの神社に行く。
高台から見る花火。僕らの特等席だ。
「雅也くん、楽しい?」
「うん、楽しいよ。理奈ちゃん」
理奈ちゃんが僕の手をぎゅっと握った。
「雅也くんは、今幸せ?」
「え?わからないよ、そんなの」
理奈ちゃんは、僕の手を離した。
僕は慌てて理奈ちゃんの手を探す。
あの時と一緒だ。理奈、理奈ちゃん、どこかに行ってしまうのはもう。
「姉ちゃん!!」
「雅也!」
目の前の景色が花火になって弾けた。
紺色の空が瞬く間に橙色に戻って、僕はそこら辺の草を掴んで仰向けに倒れていた。
「優香…」
優香が駆け寄ってきて、僕を抱き締めた。
理奈とは違う、もっと柔らかくて心地よい温かさが僕の体をめぐる。
「雅也の帰りが遅いから、お母さんと私で手分けして探してたの」
「どうしてここが分かったの?」
「小さな女の子が教えてくれたの」
「女の子…」
優香の後ろに、女の子が立っていた。
僕を微笑みながら見つめている。
理奈だ。姉ちゃんだ。
「よかった、雅也くん」
少女には似合わない、大人の表情を浮かべた理奈は優香を見た。
「あたしは雅也くんの幸せを一番に願ってるんだよ」
理奈、何か声をかけたいのに何も声が出せない。ただ涙が止まらずに流れていく。
「雅也くんが苦しんでいたなら、あたしが雅也くんを連れていこうって、思ってた。でも、雅也くん。あなたは幸せになれる」
理奈は笑う。優しく、どこか見透かすように、でも突き放さずに。
「理奈、僕は大切な人を見つけたんだ。もう、大丈夫だよ」
「雅也?」
優香が不安そうに僕の顔を見る。
「ずっと見ててくれていたんだね、理奈」
「そうだよ、あたしは雅也くんのお姉ちゃんだからね」
理奈に手を伸ばす。理奈の手が僕の手に触れる。
その先から理奈は夕暮れの光になって消えていく。
「雅也くん、どうか幸せになってね。お姉ちゃんと約束だからね」
「うん、わかったよ。お姉ちゃん」
優香は、静かに目を閉じて僕の声に耳を傾けていた。
夕暮れが紺色に塗られていく。
「雅也、帰ろうか」
「ありがとう、優香」
立ち上がって空を見上げる。
「優香、わがまま一つ良いかな?」
帰ろうとしていた優香が驚いてこちらを見た。
「花火、一緒に見たいんだ」


夜空は、僕と理奈の時間を進めてくれた。
理奈との別れは僕のこれからのありふれた幸せへと導いてくれるのだろう。

ねぇ、理奈。ううん、お姉ちゃん。
今度、子供が産まれるんだ。
お姉ちゃん、この子にもありふれて尊い幸せが来るように願っててくれるかな。

耳元で小さく、カナカナカナとひぐらしが鳴いた。

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