お題:つらい「えいっ!」 必須要素:コミケ 制限時間:1時間 読者:111 人 文字数:3565字 評価:1人

バイアクヘー
「えいっ、えいっ……!」
 またあのおじさんいるよ、とマナは眉をひそめた。
 白髪と長い髭が特徴的なそのホームレスは、マナの通学路にある広い運動公園によく出没する。この近くの河川敷を根城にしているらしく、何のつもりかよく公園を歩き回っている。
 「えいっ、えいっ」と大きな声で叫びながら歩いていることが多く、そのため「剣道じじい」などと呼ばれていた。
「今日は、気合かけてる方なんだ」
 マナの隣でクレープをぱくついているアユはのん気にそう言った。
「方って、何?」
 他にもいるの、とマナは更に眉間のしわを深くする。マナは自分を差別的な人間ではないと思いたいが、さすがにあんな汚い格好でうろつかれては、せっかくの買い食いクレープが美味しくなくなる。
「何かね、『コミケ、コミケ』って言ってる人もいるんだって」
「何それ、気持ち悪い……」
 コミケという単語は、マナも知っている。長い歴史を誇る国内最大の同人誌即売会は、近年の「オタクブーム」の中で、ニュース映像として流れることも増えた。
 だが、自分をオタクとは思っていないマナのような一般人にとっては、「何だか危ない人の集まり」という印象でしかない。
「すごく有名な作家だったけど、借金か何かを背負わされて破産して、ホームレスになったんじゃないかって噂もあるよ。ただま、『剣道じじい』と同一人物って考えた方が自然なんじゃないかな?」
 どっちにしてもキモいことには変わりない、とマナはげんなりした視線を「剣道じじい」に向ける。
 「剣道じじい」は運動公園をぐるりと走るランニングコースを、「えいっ、えいっ……」と気合を入れながら歩き回っている。
「あんなんがいたらさ、家族連れもここの公園来にくいよね」
 どっか行ったらいいのに、とマナはクレープを一口頬張る。
「誰か出てこないようにしてくれたらいいのにね」
 アユもそう応じた。


 伝えなければ、みんなに。
 この空の下には、目には見えない存在がいるということを。
 奴らは我々の頭の上を飛び回る。誰にも気づかれない時空の中を、縦横無尽に。
 奴らの住む場所は、我々の住む場所ではない。我々には見つけられない場所だ。
 奴らはやってくる。我々の住む場所に。我々にはできない方法を使って。
 奴らは人を食う。我々を、エサとしか見ていない。
 奴らは似ている。大きな翼のような鰭を持ち、そして……。
 奴らの時空を初めて観測した時、あまりのおぞましさに精神が焼かれたような思いだった。
 「コミュニティ・ケイオス」のメンバーは、みんな自殺するか、精神がズタズタにやられて社会的に死んだかのどちらかだ。
 私もそうだ。だが、軽症だ。一番やられた海野や、川崎所長に比べれば、随分とマシだ。
 彼らは自分の目を潰し、耳を引きちぎった。私は、言葉がほとんどしゃべれなくなっただけで済んだ。目も耳も残っている分、彼らよりも健康なのだ。
 だから、伝えなければならない。みんなに、奴らのことを。
 そして、連絡せねばならない。私のまだ知らぬ「コミュニティ・ケイオス」のメンバーが、どこかに潜んでいるかもしれないから。
 奴らが、もうすぐやってきてしまうということを。我々の作った「壁」を抜けて、我々をエサにするために……。


「えいっ、えいっ……」
 日曜日、運動公園でマナは同じクラスの水本くんと待ち合わせていた。
 平日から家族連れや学生のグループでにぎわうこの公園には、よくクレープの移動販売車が来ており、そこを待ち合わせ場所に選んだ。
 クレープを一緒に食べて、どこかに出かける。理想的なデートだとマナはにやつく。
 ただ、それも目の前を通る「剣道じじい」のせいで台無しであったが。
「ごめん、待った?」
 待ち合わせ時間ギリギリに、水本くんはやってきた。
「えいっ、えいっ……」
「ううん、全然」
 マナは笑顔で応じる。
「えいっ、えいっ……」
「じゃあ、まずはクレープ食べよっか」
 水本くんは移動販売車を指差す。
「えいっ、えいっ……」
「何がいい? 俺はそうだな……」
「えいっ、えいっ……」
「オススメはね、イチゴの……」
「えいっ、えいっ……」
「え? 何? ちょっと、聞こえなかった」
「えいっ、えいっ……」
「イチゴとね、チョコレートの……」
「えいっ、えいっ……」
 ああもう、うるさい! マナはさっきから移動販売車の前を行ったり来たりしている「剣道じじい」をにらみつけた。
 普段はランニングコースをぐるぐる周回しているくせに、今日に限ってどうしてここを往復してるんだ。
「ちょ、止めなよ。変な因縁つけられるよ」
 水本くんはマナを小さな声で諌める。
「でも、うるさいよ、あのおじいさん」
「えいっ、えいっ……」
「わかった。じゃあ、俺が文句つけてくるよ」
 水本くんは「ちょっと、あんた」と「剣道じじい」に近付いていく。水本くんはちょっと優しすぎるきらいのある男の子だと思っていたマナは、少し面食らった。同時に、わたしの前でカッコつけてくれてるのかな、とも思う。
「さっきからうるさいんだよ。しかも、こんなとこ往復して、怪しいし……!」
「えいっ、えいっ……」
 「剣道じじい」は水本くんの言葉など聞いていないかのように歩くのを止めない。
「おい、聞いてんのか……!」
 水本くんがそう言った瞬間、「剣道じじい」は不意に立ち止った。そして、くわっと目を見開き、天を仰いだ。
「……キタ」
 「えいっ」や「コミケ」以外の言葉を初めて発した。「何だよ」と水本くんは空を見上げる。すると、上から黒い何かが降ってきた。巨大なそれは牙のびっしり生えた黒い穴で水本くんをすっぽり覆った。
「あ……?」
 巨大な何かは地上ギリギリを通って、また舞い上がった。それが通った痕には、水本くんの代わりに巨大な血だまりが残っている。何か、絶望的なものの砕ける音が、巨大な何かの身体の奥から響いた。
「え、あ……」
 何が起こったのか。訳が分からず、マナはへたり込んだ。
 え? 水本くんは? え、何? どうなってるの……? アレは、一体……?
 水本くんを飲み込んだ黒いそれは、一体きりではなかった。空の一部がガラスのように割れ、その向こうの極彩色の入り混じった世界から、何匹も何匹もこの運動公園目掛けて落ちてくる。
 それらは、まっすぐに人を狙って滑空してきた。逃げ惑う人々を、巨体に似合わぬ素早さで大きな鰭のような部位を泳がせて追い詰め、何層にも牙が生えた巨大な口で捕食する。
 あちこちで悲鳴が上がる。子どもをかばった父親が、子どもごと食べられた。両親を失って泣き叫ぶ子どもを、別のそれがバクリと噛み砕く。クレープの移動販売車の中に突っ込み、辺りに血とクランベリーソースの混じった液体をまき散らす。
 座り込んだマナが食われるまでに、そう長い時間はかからなかった。自分に突っ込んでくる黒いそれを見て、マナは朦朧とした意識の中でこんなことを考えていた。
 こいつらマンタに、エイに似てるよな。空を泳ぐエイなんだ――


 公園の惨状を見つめて老人は、かつて「剣道じじい」と蔑まれた男は、がっくりと膝をつく。
「マニア……ワナ、カ……」
 ぽたりぽたりと、芝生の上に彼の目から涙がこぼれる。
 彼がかつて所属していた研究機関「コミュニティ・ケイオス」、通称「コミケイ」は、今の世界に重なり合う平行世界の存在について調査をしていた。
 そこで、この「空飛ぶエイ」のような生き物が住まう世界を発見したのである。
 昔の怪奇小説の怪物から名を取って、「バイアクヘー」と彼らは名付けられた。
 その世界の有様は、正に狂気そのものであった。
 極彩色に乱れた空間を泳ぐ、翼幅10メートルはあろうかという巨大な「バイアクヘー」。彼らは時に潜るような動作をして消え、また再び戻ってくる。
 口の端に、赤黒いシミをつけて。
 観測を続ける内に、「バイアクヘー」は、この世界に気ままに現れては人類を捕食し、自分の世界に帰るという習性を持っていることがわかった。神隠しの原因の一つではないか、と「コミケイ」の面々は推測した。
 「コミケイ」は、「バイアクヘー」を彼らの世界に封じ込めようと努力をした。「壁」は、その研究の成果であり、何とか彼らを一時的に封じ込めることはできた。
 ただし、「コミケイ」の研究者たちはみんな、「バイアクヘー」の世界を覗くことで狂気に陥ってしまっていた。平行する世界を覗きこむということに、人間の精神は耐えられるように作られていなかったのかもしれない。
 ただ一人生き残った彼もまた、言語中枢をやられてしまったのだ。
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