お題:黒い闇 制限時間:30分 読者:70 人 文字数:1456字

黒い闇
 深夜、路地裏。街灯もろくにない、立ち並ぶのは寝静まった民家ばかり。わざと危険な場所を選んで歩くのはこれが仕事だからだ。辺りに紛れる黒いパーカーの、前開きのファスナーを首元まで上げる。大振りのフードをすっぽりとかぶる。ポケットに突っ込み、そこに収めたものを確かめる。
 歩調は一定、普段よりやや遅め。足音は立てない。何も考えず逍遥しているような素振りを心掛ける。一般人が通りがかれば、あちらから勝手に警戒して離れてくれる。そりゃそうだ。丑三つ時に一人で、しかも素顔を見せないように歩いている奴なんて不審人物以外の何物でもない。
 そちらのほうが都合が良い。なにせ、いざ「出遭って」しまったら周囲のことなど気にかけている余裕はないからだ。
 ただ、今夜は運が悪かった。「奴」が先に見つけたのは、こちらではなく一般人のほうだった。
 鋭い悲鳴。獣の唸り声。ごく近い。曲がり角の向こうだ。迷わず地面を蹴る。むしり取るようにフードを上げる。二歩でトップスピードまで加速し、ドリフト気味に角を曲がりながら小さく言葉を紡ぐ。
「見透《みとお》せ」
 視界が透き通る。自分の目で見渡せる範囲だけ、夜が引き下がる。その中央、腰を抜かし地面に座り込んだ女性と、今にも彼女へ覆い被さろうとしている奇妙な影。
 黒い闇。夜のそれではないそれは、この視界のなかでもなお正体が知れない。影絵の狼が実体を得たような確かな存在感と、消しようもない飢えがここまで伝わってくる。
 速度がついたままの体を、強く一歩踏み込んで押し留める。急ブレーキにつんのめりながらポケットから手を引き抜き、その勢いのまま腕を鞭のように振るう。ひゅん、と空を切る音。弾丸めいて飛翔したナイフは、狼の鼻面に深々と突き立った。
 轟、と影の獣が吼える。真正面からぶつけられる殺意。怯んでいる暇はない。裾を撥ね上げ、ベルトに差した釘を両手一杯に引き抜く。むろん、この釘も先のナイフもただの「物」ではない。どんなに文明が発展しても、灯りのない夜の闇のなかでは未だ脆弱な生き物であり続ける人間が、「奴ら」を殺しおおせるために作り出した呪具だ。
 弱いものには、弱いものなりの意地と執念がある。決して負けないという意思がある。
 真っ赤な二つの光。怒りに燃える二つの目に、ふっと息を吹きかけた釘を放つ。殺意には殺意を。釘はこちらに応えて自在に舞い、狼の目を潰す。四肢を地面に縫い付ける。動きは止めたが、長くは持たないだろう。素早く女性に近づき腕を掴んだ。
「怪我は?」
「ひぇ? え、あの……」
「走るぞ」
 気遣いのない行為であることは承知だけれど、さっきも述べたように、余裕がない。本格的な戦闘になる前に非戦闘員を逃がすのが最善だ。再び角を曲がり、女性の腕を掴む手に意識を向けた。一度に二人以上の人間に術を施すなら、物理的接触しているほうが効率が良い。
「加速せよ」
 ぐん、と背中を押される感覚。二人揃って、人間ではあり得ない速さで路地裏を行く。無論これで逃げ切れる相手ではない。ただの時間稼ぎだ。あれだけ怒っていればこちらの説得も聴かないだろう。始末するしかない。
 思わずため息を漏らすと、女性が息も絶え絶えに尋ねた。
「あの……あの、あなた、誰なんですか」
 面倒くさい質問だった。言ったところで信じないだろうし、そもそもあまり答えたくないという意味で。しかしまあ、これも仕事だ。
「化け物の掃除屋ですよ、お姉さん」
 背後から迫る足音。いやはや、今夜は長そうだ。
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