ある意味で慈悲
大体にして段ボールを触ってから金属片に触れると、電気が走る。静電気の話。
「でも、少し前に静電気の話書いてたよね?」
そういえばそう。確かに書いた記憶がある。確かタイトルに半径六キロとかそういう言葉が入っていたような気がする。心の中の自分の言葉にうなずく。書いてた。
しかし、今日の即興バトルのお題はとてつもない電撃となっている。私は十万ボルトも出せないしレベル5のレールガンでもないため、おのずと書ける電気の話というのは限られてくる。
「そうなると静電気の話になる?」
なる。そうなるね。だって今からコンセントとタップの穴の間を触って自分の体に電気を走らせるっていうのは出来ないことではないけども、後遺症が心配だし、すごく痛いかもしれないし、記憶とかも無くなってしまうかもしれないし、もしくはそこにまた別の人格が宿るかもしれない。そういう可能性がある。わからないけども、でもわからないという可能性ばかりがある。それしかない。
「でも、見方によってはいろいろな可能性を秘めている気がする」
え?じゃあやった方がいい?体に電気を流してブランカみたいになる?ブランカになるかもしれない。↓パンチを連打して電気を流して皮膚が緑色になって、そんで緑色つながりでハルクになるかもしれないし、
「ハルクはガンマ線でしょ?」
そうは言うけども君、それはわからないじゃないか。ハルクはガンマ線かもしれないけども、私の場合は電気がガンマ線の役割を果たしてしまうかもしれない。
「わからないね?」
わからないよ。エリック・バナになって、エドワード・ノートンになって果てはマーク・ラファロになってしまうかもしれない。
「でも、マーク・ラファエロになれたらいいじゃない。君はアベンジャーズでバイクで到着したあとのバーナー博士のセリフが好きじゃないか」
ああ、あれ?巨大魚をやっつける手前のセリフでしょ?好きだよ。とても好きだよ。
「それにシャッター・アイランドのマーク・ラファエロも好きでしょう?」
シャッターアイランドは、レオ様が崖下を覗いたときにそこに落下している!?っていうシーンが好きなんだよ。別にマーク・ラファエロが好きだったわけじゃないよ。あのシーンの不安感が好きなんだ。
「そうかい」
そうだよ。
「ちなみに、水を差すようで悪いけど、話題が電撃から離れているよ。軌道修正しないといけないじゃないかな?」
わかっている。君が余計な提案をしてきたから悪いんだ。
「私はしてないよ。君が勝手に余計な方にそれて言ったんじゃないか」
それを言うなよ。君は私だろ。だったら連帯責任だろう。
「いっつもこういう事になるんだよねえ」
余計なほう余計な方にそれていってしまうっていうのかい?
「これは時間に限りがあるんだから、あまり余計な事を考えるのはよくないよ?」
わかってる。わかってるよ。もうずっとそうだよ。わかっているんだけど。
「じゃあ、電撃の話をしなくちゃ。どんでん返しもあるんだからね」
どんでん返しってさ、もうそれだけでハードルが上がるよねえ。それだけでさ。衝撃のラストっていう映画の予告を見て、実際映画を観たら別に衝撃じゃないみたいな事になるよねえ。
「君なりのどんでん返しでしょうがないでしょう?しょっぱくなったて、それは仕方ないよ。読む方だってそこまで望んでないよ多分」
うん。まあ、そうね。私の場合は特にそうだろうけど。
「そうでしょう?」
まあ、そうね。
「よし、じゃあ、電気を流そうか」
え?
「電撃だもの。電気を流さないことには始まらない。お酒のうまさがわからない人にお酒に合うつまみは作れない。そういうのと一緒だよ?」
それはわからなくない?お酒飲まない人だっておいしいつまみは作れるんじゃないかなあ。味濃くすりゃいいんだ。酔っぱらったらしょっぱければいいんだから。作った料理にもう少し塩ふりゃいいんだよ。そしたら喜ぶでしょうよ。
「でも、とにかく電気は電気として流してみようよ。お題に対してできるだけ誠実な取り組みをしてみようよ」
ええー、ほんとに?流す?電気?バチンって来ないかなあ?怖いんだけどなあ。
「じゃあ、静電気でいいよ?」
あー、静電気ならまあ・・・。
「アマゾンの段ボールがあるでしょう?」
あるよ。段ボールある。
私は玄関に向かった。資源ごみの日に出すために玄関の靴だなの脇に差し込んでおいたゾンの段ボールがあった。それを取り出して、両手でわさわさした。これの後に金属片に触れると大体の場合、体に静電気が走る。
「この際だからさ、金属片にもこだわってみようか」
こだわる?金属片にこだわるって何?
「静電気の静の字を、聖なるものの聖に変えてみるんだよ」
ひじりに?
「かなり前にさ、金属の阿弥陀如来像を買ったでしょう?」
蓮華寺のやつを基にしたやつでしょ?買ったよ。その前のお正月実家に帰省した時、父親に家の宗派を聞いたら時宗だっていうから、買ったよ。
「あれに触れようか」
それで何か変わるもんかね?変わるかなあ?
「聖に触れたら、もしかしたら、変わるかもしれないじゃない?」
まあ、じゃあ、その希望的観測にかけてみます?
「そうしてみよう」
本物を買うのは高かったし、私にしたところでそこまでする必要はないと思った。資格なんて大仰な言い方をするのはアレかもしれないが、私にそこまでの資格はないと思う。何も厳格に時宗の教えを守っているわけでもないし、ただ、そのお正月に駅伝を見ながら聞いた父の話がずっと残っていて、それで買ったのだ。日々、それを見ていたら何かが変わるかもしれないと思ったのだ。水道水がまずいからと、わざわざペットボトルの水を買って飲む人が、体内の水分を少しでもいいものにしたいと思うように、私はその仏像を毎日目の端に捉えることで、何かが変わるかもしれないと思って買ったのだ。
「心の準備は大丈夫?」
ははは。そんな大したことないよ。
しかし触れてみると、予想外の電撃が体に走った。自分の目から電気が出ているのが見えた。仏像を放そう思っても、手がいう事を聞かない。
このままでは死ぬかもしれない。私がどこか他人事でそんなことを考えていると、私の胸のあたりから、何かが出てきた。
それはまず顔から出てきた。髪の毛から出てきた。それは私であった。
心の中の私が、私の中から出てきたのだと思った。
出てきた私は、しびれて動けない私を尻目に、台所に行くと、包丁を持って戻ってきた。
心の中の君、君はずっと不満だったのか。
そう思うと、なんだか悲しかった。
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