お題:怪しい暗殺者 必須要素:外国語・外来語禁止 制限時間:1時間 読者:115 人 文字数:2905字 評価:3人

見張り番
 城壁の頂上からは朝日がよく見えた。回廊をめぐり、毎朝それを眺めることが、伝統だったともいう。太陽が明日も昇ってくるかわからない、だから、一日だってその責務をさぼらないよう、監視しなければならなかった。
 目を離せば、太陽は昇ることをやめて、どこかに行ってしまうとでも?
 ユキコからすれば馬鹿馬鹿しいが、母親はその伝承を真に受けて、毎朝毎朝、太陽のように熱心に城壁をのぼって、そのせいで失明していた。あまりに強い光を裸眼で直視し続けたおかげで。
 いつでも包帯の巻かれた母の目を、だから娘のユキコは直に見たことがない。
 人の目を見ない相手の言うことなど、まともに聞けるわけがなかった。そんなこともあり、ユキコは毎朝寝坊している。寝床で昼過ぎまでぐっすり眠りこんでいたって、太陽は天高く昇った。つまりは監視など無意味だということ。
 むかしは大きくて、偉い城主の住処であったらしい城も、時を経た今は崩れ落ち、一部を残すのみだ。守るべきものがもうなくても、変わらずそびえる城壁は間抜け以外のなにものでもない、とユキコは思っている。でこぼこの狭間から、弓で外の敵を狙い打つことも、堅固な鉄の扉が破城槌を阻むこともない。でこぼこに縄をかけて、垂直の壁を滑り落ちる遊びが、ともだちのリコとのあいだで流行ったくらいで。

 病に倒れてからというもの、母親はうわ言ばかり口にするようになった。
「太陽は今日も昇ったかしら」
「たぶんね、お母さん」
「城主様はご無事かしら」
「もういないよ、お母さん」
「ああ、なんてこと……」
 本当のことを答えると、目元の包帯を涙で濡らして、さめざめと泣くので、寝台の横でユキコは仕方なくでたらめを口にするしかなかった。
「城主様はね、広間で今日も積み木遊びをしてたよ。このお城を小さくしたようなのを作ってた」
「お元気ならいいんだわ。ただ、暗殺者にだけは気をつけてと」
 城主は気がつけばいなくなっていたのであって、このろくに人を見かけない城のなかに怪しい暗殺者が混じっているなど、あり得なかった。でもしょせんは病人の言うことと、ユキコは適当に相槌を打つ。
「わかったよ。言っておくよ」
「城壁は今日もまっすぐそびえ立っているのかしら」
 母親の心配事はつきない。大丈夫、大丈夫、とユキコは繰り返しながら、水差しに睡眠薬を混ぜて呑ませた。病人は寝かせておくのがいちばん面倒がない。どうせ起きていたって、太陽の光さえ見ることが叶わないのだから、昼も夜も関係なく、寝ておくのがいちばんいい。

 残念なことに、城壁に関しても母親に本当のことは言えなかった。時の流れのなかに呑み込まれたあと、石造りの立派な壁は傾くばかりで、縄をかけて登るのさえ簡単になってしまった。これではリコとの遊びも盛り上がらない。なんなら卓と椅子を置いて、そこで昼食をとれるくらい、場所によっては平坦になってしまっている。
「新たな暇つぶしを考えたわ」
 ユキコがリコを探して、傾いた城壁の側面を歩いていると、石のあいだからにょきりと生えた手に足をとられて転倒した。その暇つぶしとやらが、欠落した石に潜んだかくれんぼ、から足元をすくってユキコを転ばすことであることは明白だった。
「却下よ。わたしが怪我するじゃない」
「ユキコもリコを狙っていいのよ? 暗殺が一方的でなくてはいけないという規則はないわ」
 どこで覚えたのか、リコは言葉を間違って覚えているきらいがある。影から狙って相手を転ばすのを『暗殺』だなんて物騒だ。
「それより、こんなところにいたら、危ないんじゃない?」
「ユキコはリコの目を心配してるの? 大丈夫、太陽なんて興味はないわ」
 そうじゃなくて、とユキコは城壁の端を見やる。太陽は、今は足元の城壁の裏に隠れている。星さえない真っ暗闇が広がっていて、視線の先には切断面がある。兵士の特攻を阻んだはずの石壁は、鋭利に切り落とされ、あとは暗闇に呑まれている。
「いつ、ここも切り落とされるかわからないじゃない」
「大丈夫よ、大丈夫」
 リコはユキコが母親にそうするように、適当にうなずくのだった。そうして、訳知り顔でこうも続ける。
「あなたがあの女に妙なことを吹き込まなければね」
 ユキコのともだちは何を知っているというのだろう?

 広間に行くと、豪華な衣服を身にまとった、見知らぬ子供がいた。床に座り込んで、木の玩具を組み立てている。ユキコは食堂帰りで、昼食がわりに口に咥えていた果物を、ぽろりと落とした。子供のしているのは、積み木遊びといってよかった。
 ころころと転がっていった果物を、王様のような格好の子供は小さな手で取り上げた。
「余が食べても? 今思いだしたが、腹が減った」
「かじりかけでよければ……」
「よい、よい。なにせ腹が減っておる。まるで今このとき、ここに生まれ落ちたようにな……」
 果物をかじりながら、王様のような子供は積み木を組み立てる。「この城には、いろんなものが欠けているとは思わんか?」
 ユキコは無視した。見たことのない城主とやらが彼であるかは確信が持てなかったし、その問いにうかつに答えることは危うく思われた。

 目が見えない人間にとって、世界の形とはどういうものだろう?
 寝台に寄り添って、ユキコは眠る母親を見つめている。包帯のせいで、起きているのか、目を閉じているのかさえわからない。見えないのであれば、ユキコの話しかける声、その内容だけが、母にとっての世界の真実なんじゃないだろうか。
 確認しなくとも、太陽は毎朝昇っている、と母に語った。
 城のなかでリコというともだちができた、と話した。
 縄でのぼる遊びのために、城壁が傾いたほうがやりやすい。城のなかは広すぎて迷うから、もっと狭くていいと言った。ユキコの過ごすのは、太陽を見るこの城壁とその周辺くらいで、城主様なんて見かけたこともない。
 ユキコが話すのは、本当の世界じゃない。嘘とか、願望とかの混ざった、ただの幼い子供の話だ。母親の容態はどんどん悪くなっていて、彼女が倒れてからそれなりの時間が経ったはずなのに、そういえばユキコの時間は進んでいない。いつまでも子供のままなのは、母親の記憶のなかでその姿でいるからだろうか。
「ユキコ、ユキコ……」
 やっぱり起きていたようだ。目の見えない母親の呼ぶ声がする。
「今日もこの城はいつもと変わりないかしら? あなたの話では、毎日まったく違う姿になるようで、不安でならないの……」
 心細く訴える母親の手が虚空にさまよう。娘の体温を求めるその手を、ユキコはぼんやり眺める。求められても、触れたことはしばらくない。
 毎日、毎日、母親は同じことを訊く。
 そういえば、しばらく太陽を見かけてない、とユキコは言った。
「なんてこと……」
 母親は絶望の声をあげ、泣きながら目を覆った。窓の外が暗くなり、かすかな明かりさえ闇が呑み込んでいく。女のすすり泣く声を頼りにユキコは手を伸ばしたが、母親がそこにいるかどうか、自信は持てなかった。



 

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