お題:団地妻の脱毛 必須要素:二号機 制限時間:1時間 読者:30 人 文字数:1731字 評価:0人

ラプンツェル、応答せよ
私が私自身のためにこの体を操縦するようになってから、1年が経とうとしている。
かつての不全が去ったことで、私は異なる不全を知った。

***

蜘蛛、蛇、ピエロ。
高所、閉所、広い空間。
集合体や、鋭利な尖端。

生理的に嫌ってしまうものは誰にでもあるという。

誰にも言ったことはないのだけれど、私は水色のタイルがきらいで仕方ない。
水場によく貼られている、ひどくありふれた、あの正方形のタイルを、
ほとんど憎んでいると言ってもいいくらいだ。

理屈も理由もわからない。
公営プールのぬめりや、公衆トイレの汚れを連想してしまうのかもしれない。
とにかくすごく不潔なもののように思えてしまう。
本当は触るのもいやなほどに。

けれど夫にそれを言えば、彼は「俺への当てつけか」と烈火のように怒るだろう。
私の夫はそういう人だ。
だから私はこの思いを、誰にも言ったことはない。

***

青いタイルに囲まれて、洗い上げたばかりの浴槽に湯を溜めながら、
私はそのへりに腰を下ろした。
温かな湯気が立ちのぼり、セーターの背中が湿っていく。

刃物のように光る銀色の蛇口。かびをとったばかりの青タイルの目地。
私は泡でくるんだ両脚を投げ出して、それらのものをぼうっと眺めた。

刺激臭に鼻をつかれて、少しだけサッシ窓を開ける。
この窓は開けるのにコツがいるから、気をつけないとひどく大きな音が響いてしまう。
隙間からすうっと冷たい空気が流れ込んできて、
表通りのエンジン音と、下の公園で子どもたちのはしゃぐ声が、微かに耳に届いてきた。

サッシのぬるついた黒ずみが指に移ったので、お湯でちょこっと洗い流す。

――夫と結婚し、それと同時にこの団地へ越してきてから、もう6年が経っている。
住み始めたときから既に築15年以上の物件だったけれど、
最近そこかしこ、ますます粗が目立つようになってきた。

結婚してからわかったこととして、
住む人間の諦めというものは、どうやら家にもじかに現れるらしい。
だからそれが露見しないように、私はなるべくすべてのものを、綺麗に保つようにしている。

それにしても晴れた冬の午後というのはどうしてこうも気だるいのだろう。
午前の空気はあんなに清冽で冷たいのに。

タイルの目地であみだくじをしていたら時間がきたので、
私はスカートを気持ちたくしあげ、シャワーで脚を洗い流した。
蛇口をひねって止め、半分湯の溜まった浴槽に脚先をつける。
朝から二重に靴下を履いていたのに、足先が氷のようだ。

つるつるになった脛を撫でる。
私はいま、自分の意志で、自分の体をメンテナンスしている。
そのことが少しだけ気分を良くしてくれる。

つい先ほどまで私の一部だったものが、薄グレーの泡に包まれて、くるくると排水口に吸い込まれていく。
私という存在は代謝する。
私が望めば、こんなにあっけないほど簡単に。

なのに私は今日も、かび臭い城に籠もりながら、外の音を聴いている。

***

あの日。
あの人に触れられて、私は私の輪郭を知った。

あの人の唇で、この血が熱いものだったと知った。

あの人の眼差しで、この目が硝子でなかったことを知った。

指先からコントロールを失っていく、あの感覚。
システムオールグリーン。視界は不良。

それまでの私が、私へと乗り換える。

私は生きることがどんなことかを知らされた。


***

きっとあの人はやってくる。
チャイムは鳴らさず、控えめに扉を叩いて。

私はどこかでその時を待ちわびている。

一生そんな日は来ないのだと知りながら、
私の心臓はどうしようもないくらいに、あの人を信じてしまっている。

窓を締めると風がやみ、風呂場はふたたび静かな空間へと戻った。

つま先立ちで洗い場を横切り、温まった足先に靴下をかぶせる。
まだ台所の換気扇の掃除が残っている。

私は今日も、私の城を磨く。

***


私は扉を開く。
あの人が現れる。

あの人の腕の中でだけ、私は生き返る。



そんな想像に身を委ねてから、私は気づく。
つまり今のこの私は、ほとんど死んでしまっているのだ、ということに。

作者にコメント

対戦作品一覧


ユーザーアイコン
作者:雨宮ヤスミ お題:団地妻の脱毛 必須要素:二号機 制限時間:1時間 読者:59 人 文字数:3662字 評価:3人
「脱毛ババア?」 田中はあくまで真面目な表情で、すっさまじい名前だなあ、と俺は顔をしかめた。 俺と田中は、とある団地に来ていた。かなり古びた建物群で、地元民の田 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:Yokobayashi Daidai お題:団地妻の脱毛 必須要素:二号機 制限時間:1時間 読者:17 人 文字数:2076字 評価:1人
近所の誰かとすれ違う瞬間が一番嫌いだ。 私の暮らす団地の階段は小さい。 お互いに気を使いながら「すみません」なんて言って体を避けながら通るのが苦しくて、私はあ 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:新感覚冷やし系魔法少女ヒャド お題:団地妻の脱毛 必須要素:二号機 制限時間:1時間 読者:51 人 文字数:1595字 評価:1人
俺の名前はジョー。 流しの脱毛屋だ。 愛用の脱毛マシン弐号機を手に、西にムダ毛に悩む人あれば西へ。 東にムダ毛に悩む人あれば西へ。 人呼んで脱毛のジョー。 そ 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:かたぎり お題:団地妻の脱毛 必須要素:二号機 制限時間:1時間 読者:21 人 文字数:3311字 評価:0人
みなさーん、こんばんはーきょうはー、この阿久津団地へきておりまーす阿久津津団地、どんな女優さんがすんでいるのでしょうかーきになりますねーこれは地方ローカル番組「 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:inout お題:団地妻の脱毛 必須要素:二号機 制限時間:1時間 読者:21 人 文字数:2991字 評価:0人
ぐるぐるとした月が団地の上で蠢き、ときおり地上に目を落とした。眼球は公園に落ち、押し潰された子供がきゃーぎゃーと喚くが誰も気に留めることはない。コンクリート舗装 〈続きを読む〉


ユーザーアイコン
作者:ibarrraki お題:団地妻の脱毛 必須要素:二号機 制限時間:1時間 読者:30 人 文字数:1731字 評価:0人
私が私自身のためにこの体を操縦するようになってから、1年が経とうとしている。かつての不全が去ったことで、私は異なる不全を知った。***蜘蛛、蛇、ピエロ。高所、閉 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:有馬仙 お題:団地妻の脱毛 必須要素:二号機 制限時間:1時間 読者:20 人 文字数:2498字 評価:0人
人には色々とコンプレックスがあるのだが、中でも毛に関する物は女性には当然、男性にも意外と多い。 肌を見せなければ公にもならないし、昨今では脱毛の方法も手近に存 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:海の庵 お題:団地妻の脱毛 必須要素:二号機 制限時間:1時間 読者:23 人 文字数:1101字 評価:0人
これは、とある団地妻の毛を巡る戦いである。物語は郊外から外れたマルマル団地C棟の502号室で夫婦が朝食を済ませているところから始まる。「その、本当にやるのか?」 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
天敵 ※未完
作者:松竹輪子 お題:団地妻の脱毛 必須要素:二号機 制限時間:1時間 読者:15 人 文字数:2432字 評価:0人
「あっ、しまった」 私は掃除機のスイッチを押しながら呟いた。いくら電源をオンにしても掃除機の吸い込み口はウンともスンとも言わない。どうやら、壊れてしまったようだ 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:キュウミリ お題:団地妻の脱毛 必須要素:二号機 制限時間:1時間 読者:37 人 文字数:2164字 評価:0人
率直に言おう。俺の家系は代々ハゲを受け継いでいる。 父も兄も……そしてその例外に漏れず、俺の頭は後退し始めてきた。「お前も兄ちゃんに似てきたな、見事にデコ広い 〈続きを読む〉

ibarrrakiの即興 小説


ユーザーアイコン
作者:ibarrraki お題:団地妻の脱毛 必須要素:二号機 制限時間:1時間 読者:30 人 文字数:1731字 評価:0人
私が私自身のためにこの体を操縦するようになってから、1年が経とうとしている。かつての不全が去ったことで、私は異なる不全を知った。***蜘蛛、蛇、ピエロ。高所、閉 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:ibarrraki お題:小説の友人 制限時間:15分 読者:30 人 文字数:701字
ばかみたいに孤独な夜。いつだって連絡をとってよい特別な相手――それは俗に恋人と呼ばれるのだけれど、そんな相手がいたとして、その人に、あえて電話をかけたくない瞬間 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:ibarrraki お題:箱の中の運命 制限時間:15分 読者:33 人 文字数:801字
ここの店の砂糖は四角い木箱のような、かわいらしい容れ物に入っている。透かし彫りの施されたふたを、彼の指先がそっと持ち上げ、小さなトングで砂糖を拾う。白いキューブ 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:ibarrraki お題:犯人は墓 制限時間:15分 読者:336 人 文字数:495字
ローザロッサは歌うたい鬨の声とともに窓をひらき朝はよろこびの歌を昼には苦しみの歌を晩には慰さめの歌を高く 低く気高く なお 賤しく道行く人に語り聴かせては銅貨を 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:ibarrraki お題:群馬の修道女 制限時間:30分 読者:392 人 文字数:1500字
「ねえ、さくらんぼって精子に似ていると思わない」放課後、まだ混んでる学食で冷えたチェリータルトをつつきながら、あろうことか君はそんなことを口走った。僕がペットボ 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:ibarrraki お題:苦しみの冒険 制限時間:30分 読者:367 人 文字数:1979字
燃える髪をした私の悪魔は、召喚いちばんに賢しげな眼をすがめて呟いた。「綺麗になったな」 綺麗ってのもおかしいか? なにが面白いのか笑ってから、「色っぽくなった 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:ibarrraki お題:殺された人 制限時間:15分 読者:239 人 文字数:797字
絵の具と筆を取り上げられて、画家は死んだ。けれど時代は巡り、どうにか息を吹き返した。今日もこうして砂を踏み、広いというにはあまりに広い荒野を、切々と横断してゆく 〈続きを読む〉

ユーザーアイコン
作者:ibarrraki お題:無意識の秀才 必須要素:義眼 制限時間:15分 読者:291 人 文字数:546字
一年中、雨と霧の街だった。つまり、私の頭は休まることなく、しじゅう痛みを訴えていた。私の丸い水晶体は失われ、あれはもう土に還ったころだろうか。光を失った片眼の奥 〈続きを読む〉