お題:危ない芸術 必須要素:海苔 制限時間:15分 読者:13 人 文字数:935字

芸術家と恋人
 波打ち際に立ちすくみ、桃子は祈るような気持ちで恋人を見守った。今日は恋人が長年温めてきた構想をついに世に解き放つ。彼自身が十年かけてようやく完成させた芸術作品を、ようやく展示しようという初日なのだ。桃子が彼に出会う前から彼の中にあったそのイメージが、今日ようやく物質的な形を取って日の目を見る。彼のもっとも身近な存在であり、最大のファンでもある桃子にとっては、楽しみなような、それでいて少し怖いような気もした。

 思えばこの半年ほど、作品の総仕上げにかかりきりだった彼とはほとんど顔すら合わせていない。同居している桃子が作っておいた料理を、夜中に帰宅した恋人が温めて食べる。朝は目覚めてから仕事へ行く前、空っぽの彼のベッドを横目に彼の食べ残しの皿を洗う桃子。眠気のためか夢の中で号泣したせいなのか、目はいつだってほのかに腫れていた。

 やがてそんな繰り返しにも嫌気がさし、桃子は少しずつ料理の中に海苔の欠片を混入させるようになった。ぱらぱら、ぱらぱら。炊き込みご飯やたらこパスタはもちろん、ハンバーグの種やカレーの鍋の中にも毎日少しずつ刻み海苔を混ぜ込んだ。
 ぱらぱら、ぱらぱら。
 おいしそうな香りを立てる温かな皿が、帰宅しない家主を待つ間に少しずつ冷めていくのを見つめていても、どうしてなのかその中に混ぜ込まれた黒い欠片のことを考えると、桃子の心は凪いでいられるのだった。

 いよいよ地平線の向こうに、サーフボード上でバランスを取った彼自身が姿を現した。芸術作品というからには桃子は美術館での展示のようなものを思い浮かべていたのだが、予想に反して作品は海上での彼自身によるパフォーマンスらしかった。

 ただ楽しげにサーフィンを楽しんでいるようにしか見えない彼の「作品」をいざ目にしてみると、桃子は胸の前で固く組み合わせていた手から次第に力が抜けていくのを感じた。

 ――こんなもののために私は。

 ふと目を上げると、強い日差しに照らされて光る彼の濡れた背中に、大きな海苔が張り付いていた。
 彼の乗った波が浜辺に近づいてくるにつれて、それが文字になっていることに、桃子は気が付かずにはいられなかった。
「いつもありがとう」
 桃子は砂浜に膝をついた。
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