お題:ねじれた女 必須要素:ミュンヒハウゼン症候群 制限時間:1時間 読者:70 人 文字数:1796字 評価:3人

天使が諦めたあとで、やっと私は外に出る
 「おーい!」
 レイが病棟の屋上で大声をあげる。運動場の患者たちが全員顔をあげると、彼女は満足げにうなずく。
 「今日は、ここから飛ぼうと思いまーす!」
 観衆は心底どうでもいいという風で、やりたきゃやれと言わんばかりの顔。それでも彼女は健気に彼らを煽る。
 職員があわてて運動場に駆けつけ、大きな布を広げる。4階建の病棟のてっぺんから落ちようという人間を受け止めるには頼りないけれど、即席で用意したのだから仕方ない。
 「そんなもん、どけて!」
 レイが屋上を駆け回るのに合わせて、職員も駆け回る。不思議なほど緊迫感のない、滑稽な光景だった。彼女が負うどんな傷も、翌日には消える。私を含め、みながそれを知っているから。必死であるべき職員もどこか気の抜けた顔をしている。

 自傷癖持ちを監視するためのこの施設においてさえ、彼女は異質だった。誰もが憐れみと慰めをほしがっているのに対して、彼女がほしがっているのは称賛。みなが手首を切って誰かにそばにいてほしがる横で、彼女は手首を切って出た血で壁に大きな絵を描き、自慢げに胸をそらせながらふらふらと倒れるのだ。

 おまけに、明らかに致死量の血を流しても翌日にはケロッとしているのだから、ますます異質だ。頭の良い人間たちがどれだけ観察しても、理由はわからない。ただ、みるみる傷が治り、必要なだけの血が補充される。どれだけ手を尽くしても原理が分からず、医者は一人残らずさじを投げた。あまりの不可解さに、もう誰も興味をもつこともできなくなっていた。

 「私、神様の使いなんだと思う」
 いつか彼女が言っていた。その時は硫酸をたっぷり飲むのだと楽しげに語りながら、こっそりその準備をしていた。患者のひとりである私には彼女を止める義務はないから、ただそれを黙って眺めていた。
 「無茶をして、死ぬほど体を痛めつけて、それでも次の日にはなんでもなく笑う。それが、私の使命なの。そうやって、みんなを楽しませてあげるのが、私の才能なの」
 わたしは、あ、そう、というぐらいの返事をして、せっせと準備を進める彼女を見ていた。そのうち職員が駆けつけて彼女を羽交い絞めにして、病室へ引きずっていった。

 彼女には気の毒なことだが、ここの患者は誰もそんなショウを望んでいなかった。患者たちがほしがっていたのは、自らへの同情だけ。なまじ、目立つことばかりして自分に向けられていた人の目を盗っていく彼女は嫌われていた。最近になって、彼女も近頃ようやくそれに気づき始めたようだったが、相変わらず無茶をするのをやめなかった。
 「使命だから。私にしかできないから」

 ついに、レイはとんだ。人が高所から落ちていく景色は、案外味気ないものだった。職員の用意した布は容易く裂け、彼女の身体はほとんどそのままの勢いで運動場に激突した。
 遠くからではよくわからないが、とにかくレイの身体は職員に回収されていった。翌日には、またいつも通りに違いない。

 みながそう思っていた。けれど、いつも通りにはならなかった。レイはそのまま死んだ。

 レイには身寄りがなかったから、葬式は職員によって執り行われた。患者たちは呆然とした様子で参列した。屋上から飛ぶより、もっと危険なことを彼女は何度もしていた。それなのに。夢を見ているような気分だった。そもそもが、レイの存在自体夢みたいに不可解なものだった。

 棺の中のレイは、可能な限り綺麗に取り繕われていた。それでも、身体がどれだけぐちゃぐちゃになったかわかってしまう。壊れた部分を直視できず、私は彼女の顔に目を向けた。真っ白な顔の目の周りだけが、泣き腫らしたように真っ赤だった。

 彼女が死んでしばらく、患者の自傷行為が激減したらしい。けれど一月もすると、みな彼女のことなど忘れて、前と変わらぬせっせと手首を切る日々に逆戻りだった。
 私はというと、なぜだかその前と変わらぬ風景が嫌で仕方なくなってしまった。カウンセラーに相談しても、いまいち理由がわからない。

 「きっと、レイさんが亡くなったのが関係あるのね」
 カウンセラーはそんなことを言った。私もなんとなくそんな気がする。別に彼女がかわいそうとか、全然思わないのだけれど。

 レイのお墓に花を供えてやると、職員は喜んだ。私はそれが嬉しくて、よく墓参りに行っている。
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