お題:2つの王子 制限時間:4時間 読者:293 人 文字数:3492字

夢のない夜に、
 私の最近みる夢は何だかグロテクスで大抵の場合、実家のリビングで誰かが首を吊っていて私はその光景をぼんやりとした視線で眺めあるとき唐突に目が覚める。そのたびに私は母に連絡を入れるのだけどもちろんそんなことが現実世界で起こっているわけでもなく、そうした安心と一緒に少しの気掛かりを抱えて電話を切る。
 病院にいったほうがいいよと浩人は云う。「きっと優希は疲れてるんだよ。念のためにお医者さんにみてもらってさ、少しのあいだ躰をやすめるといい。そのあいだの家事はぜんぶ俺がやるからさ」
 結婚してからの浩人は何だか変に優しくて、学生のころにみられたあの世間を舐めきったような視線は感じられなくそれが悲しくもあるのだけど、いや、そういうものなのかなあとも思う。いまの私のお腹のなかにはひとつの小さな命が息を潜めていて、きっと浩人は自分がいよいよそういったポジションに立つということを意識していて、そうした思考が態度に出てきているのだ。それは素直に嬉しい。嬉しいのだけど、やはり悲しい。浩人は私というひとりの女性の夫というかたちからひとりの息子を持つ父としての姿へとゆっくりとしたスピードで変化をし続けていて、その姿が私の好きになった初めての浩人の像と段々とずれてきている。そうした成長を私は未だきちんと受け止めることができず、だからこそ浩人の優しさにも戸惑ってしまう。
 そうした日常における些細な疑問や戸惑いは部屋の隅に溜まる埃のように蓄積されて、その結果があの夢なのだと思うと私は変に納得してしまう。みた夢とその意味を当てはめるある種の占いのようなものが掲載された雑誌を、ずっと昔に読んだことがある。私は占いなどは毛頭信じない気質なのだけど、いまならばそれを受け入れてしまうほどにその考えは確固たるものとなっていた。
 けれど判らない。リビングで首を吊るひと。私の悩みがそうしたひとつのかたちを作る意味というもの。それはどうして首を吊るひとでなくてはならなくて、入水をするひとでないのだろう? sのひとはどうして、私の夢のなかで何度も死を繰り返さなければならなかったのだろう? 結果と原因と結びつけるその真ん中が、ぽっかりと空の口を開けていた。
「疲れてるのかも」と私は云う。
 そうだねと君は肯いて、何やら電話をかけ始める。それはどうやら病院の予約を取っているようで、明日の昼過ぎに病院へ行こうと、電話を切ってから浩人が云う。
「ねえ浩人」
 私はそんな優しさを振りまく夫をみつめ、なんとも云えないため息がこぼれる。
「――あんた、いつからそんなに優しくなったの?」
「いつから……」と考えるような素振りをみせてから浩人は、「それはたぶん優希がそう思ってからだよ」。そう云い切ってから数秒後、「優しさって他人が感じ取るもんだからさ。俺があれこれいってもそれはたぶん間違いだよ。俺の優しさは俺には判らない」。俺はそう思うんだけどと付け足して、私は浩人にみつめられる。
「そういうもんなのかなあ」と私は呟く。
「そういうもんさ」と浩人は云って、その日の会話らしい会話は終了。
 夜の十二時にベッドへ潜って、浩人の隣で考える。きょうもみる夢。そこに出るひと。首を吊られるリビング。そこにいる私。それらすべてがばらばらで、どこをどうみようにも、つなぎ目なんてものは見当たらない。夢なんて結局はそんなものなのだと心のなかで呟けど、でもそれって本当だろうかと疑う私。そうした問い掛けのやり取りの中途、私の意識は暗転。ぼやけた輪郭の夢の世界へ。



 あかんと思ったのは浩人に車で病院まで送ってもらうまでの中途、赤信号と連続で三回ほどぶつかって変わり映えのない外の景色を眺めていたそのとき、う、と私は小さくうめいた。
「どうした」と黄色に変わる信号をみやりながら浩人は云う。
「いや」と首を振りつつも、なんだろう、この、腹の底からやってくる深い痛み、じんじんでもなく、ちくちくでもなく、ただ、小動物のうめき声のような、それ。
「ちょっとお腹痛いだけだから」
 そう云いつつも、いやいや、これは普通の腹痛ではないぞと焦る。呼吸が少しずつ浅くなり、ゆっくりと深呼吸を試みようにも、あれ、上手く息が吸えない。呼吸ってこんなによそよそしいものだっけと思う私は変に楽観的で、それは逆説的に私の焦りを示している。
「もうすぐ病院だからさ、我慢してね」
 云いつつ車は加速する。ばれているなと思う。どう上手く隠そうと画策しようにも、浩人にそんなものは無効だ。早々に観念する私は自分自身を落ち着かせる目的も含め、「なんかお腹がさ、痛いの。歯痛みたいな感じ、いや、違うかも。とにかく痛い……」
 そこから私はそれがどのような痛みなのかということを延々と説明して、浩人もそのたびに肯き車の速度はぐんぐんと伸びる。気づいたら病院に到着していたのだけどそのときの私はもはやひとりで歩行することも叶わず浩人におんぶをされるかたちで病院内へと駆け込みひとのみる目が痛いなあ恥ずかしいなあと思いつつもそうしたことを考える余裕を削ってゆくように痛みが段々と強くなり暗転。
 目を覚ましたのは夜中で部屋のなかは真っ暗。ここは病院のなかなのかなあと思いつつ躰を起こそうとすると腹部に強い痛みを覚え、う、とうめくと、「起きたか」と声。それは間違いなく浩人の声だった。
「お医者さんにみてもらって、もう大丈夫だから。あと少しだけここにいることになるとは思うけど、そのあいだのことは俺に任せて。何か食べたいもんとかほしいもんとかあったら買ってくるからさ」
 浩人の話を黙って聞きながら、けれど私はまったくべつのことを考えている。きょうの朝にみた夢。いつものリビングで首を吊るその子の姿。そう、それは紛れもない少年であった。そうしたはっきりとした姿を認めたのは初めてであったので、私は戸惑う。戸惑いながらも、いや、助けてやらなきゃと躰は動き、吊るされているらしい紐に手をかけるも、「やめて」と声は云う。その声は間違いなく首を吊るその子から発せられたのもで、その口やそれを含む顔は黒く塗りたくられていて判らないけれど、その子が話しているのだということは、判る。それは幼い少年の声を持っていた。
「僕はもう死んだんだから。それにそんなことをしても無駄だよ。死んだにんげんは生き返らないし、もしも生き帰ったのなら、それはもうひとではない。だからお願い。どうか僕をこのままここにいさせて」
「でも」と私は云う。
 現に彼はこうして話している。話しているということは、死んではいないということだ。それがこの夢のみせる幻聴なのだとしても、ひとつの可能性を信じて彼を救うことを私は選ばなければならない。そうして紐に手をかけようにも、同じように彼は云う。
「実を云うとね、これは生贄なんだよ。生贄。誰かを生かすために誰かが死ぬ、ひとつの儀式。だからもしも僕のことを救えても、他の誰かは死んでしまうよ。ねえ。だからお願い。僕はあなたに、人殺しになんてなってもらいたくない」
「人殺し……」
「そう。人殺し。その手を使って結果的に誰かが死んだのであれば、それは立派な人殺しだよ」
「でも」と再び私は云う。「でもそんなこと許されないよ」
「ねえ――」
 声は、少しだけ息を潜めたように思えた。けれど違う。それはきっと、私と彼とのお別れが近づいているひとつの証拠なのだ。そのお別れを知らせるように彼は、
「許すこと、許されること。殺すこと、殺されること。それって何も意味のないことだよ。だからこそ僕は云うよ。僕は、君を、許してあげる」
「だから――」
 現実的な浩人の声が、井戸の底からのようにやってきて、私ははっと目を覚ました。
「だから何も心配することはないよ。まずはしっかりと睡眠を取って、躰をしっかりと休めてあげなきゃ」
「浩人」と私は云う。
 私はそっと顔を上げて、暗闇に浮かぶ浩人の頬に右手を添える。私はすべてを理解している、心配させまいと隠そうとする浩人の意思も、そしてその先に包まれている事実も。何よりもまずそれは私自身のことなのだ。私が私の躰のことを、その変化を気づけずにどうするというのだろう? 私は途端に泣きたくなった。
 名前を呼ばれ呆けた表情をみせる浩人は息を飲んで、そっと私に口づけを。二人の静かな涙が口内にひっそりと忍び込み、それが浩人の答えであった。私はそっとお腹を撫でて、それから深い眠りにつく。夢のない、ひとりの寂しい夜の底へと。
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