お題:安い自動車 必須要素:ケチャップ 制限時間:1時間 読者:261 人 文字数:2484字
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ケチャップを抱く運転席
 山沿いの淋しい道路に面した歩道を、何ともなく歩いていた。
 半ばやけになっていたのだと思う。胸の風穴めいた虚しさは毎日のように嘆息を促し、ほんの刹那でも明るい気分を抱く事を許してくれなかった。
 そんな日々につい嫌気が差して、私は平日の朝から寝巻同然の姿のまま家を飛び出した。本当に些細な、小さな思い付きである。当てもなく地元の田舎道を下って行った。
 日頃運動不足かつ外出嫌いの私は、長年住んだこの町でも近所から少し外れれば、もう見知らぬよその土地と変わりなかった。何キロか過ぎて、帰り道も定かではなくなった頃、気付けばこの山に寄り添って走る道路を歩いていた。
 さっき言った事と矛盾するようだが、私は休まず歩き続けたのに疲れらしい疲れを感じていなかった。明日明後日筋肉痛が襲って来るとしても、今は足なんて無いかのように易々と前進ができた。
 マグロになった錯覚が有った。たとえば止まったら死ぬというような、蒙昧で無闇に気詰まりな妄想だった。それが、その瞬間の私にはこの世に唯一の真実であるかのように思われた。
 だが結局は一瞬の事である。聞き知らぬ声に呼び止められた時、私は平素の如く「はい、なんでしょう」と高い声で振り返った。このように自分の事で手いっぱいな時でも、人から悪く思われる事を恐れる己の真面目さには辟易する。
「なんですか?」
 私はにこにこと笑ったままの男に再度訊ねた。
 男は白髪や皺の数を見るに年の頃五十かそこらだが、色黒の為に少し若く見える。
「車、見て行かない?」
「何を?」
 しかし私も矢張り気が立っていたらしく、聞き返した言葉には棘が含まれていた。その棘で自分を刺した気分である。私は勝手に気まずくなりながら、繕う台詞を探した。
「車」
 男は笑んだまま繰り返した。
 お分かり頂けるだろうか。本当に真面目な奴は誰より押しが強いが、生半に真面目ぶった輩は苦笑いのまま流されるのが御決まりである。悲しいかな私もその御決まりの一人であった。
 「ええとぉ」なんて言って顔を顰めつつ笑うという器用な芸をしている内に、私は男に手首を引かれて山沿いの道から離れていく事になった。平らな黒っぽい駐車場があり、広々としている。駐車場の大半は空きであり、片隅に何台か不法投棄のようにワゴンが停まっている。
 それら自動車の向こう側に、豆腐から切り出したような漠然とした風体の建物が佇んでいた。
 男は玄関と思しき場所に行くと、軽い引き戸を引いた。その引き戸に何処か見覚えが有った。私は入るまでに少し考えたが、ややあって、そいつが小学校の教室の戸だと気が付いた。
 大方どこぞの廃校から盗んで来たのだろう。それは、遵法意識の強い平凡な庶民として生きていた私にはとんでもない冒涜か無体のように映った。
 ともすれば、こんな玄関の家に住んでいる奴はろくでもない。たとえば、密入国した外人だとか……。そう考えると男の色黒に別の意味を見い出したくなる。
 男は採光の行き届いていない薄暗い家の中で、円いテーブルなどを片付けたり出して来たりしながら、私に手招きをしている。
 私は瞬きの後、無教養を象徴するような玄関を潜った。真実、やけになっていたのである。もし自分の身に何か有っても、すべて幸運に任せてしまってよいかと思った。

 男は、私を不安な音を立てるパイプ椅子に座らせると、自分は木箱をばらして組み上げたような椅子もどきの上に腰掛けた。
 男が話しだしたのは、まず私が何故一人ぶらぶらとあんな道を歩いていたのかと言う事だった。大した意味が有った訳ではないので、私はその通りに答えた。それから何度か車とは関係の無い質問をされたが、私ははきはきと素っ気無い返事をした。その中で、三か月前に私の親が両方とも亡くなった話も出て来た。
 交通事故だった。横断歩道へ突っ込んで来た車ごと、両親の体は弾け飛んだらしい。
 私は座ったままポケットに手を突っ込み、この男がどんな反応を示すか観察した。男は話題に合わせて眉尻を下げたり上げたりしていたが、口元の笑みだけは消さなかった。
「そろそろ車見に行かない?」
 男はそう言って立ち上がった。居心地の悪さに話題を変えたのかも知れないが、私はあまりの手応えの無さに奇妙な虚無感を感じた。
 椅子から立って男の後に着いて行く。建物の直ぐ傍に、日陰の中で沈黙する白いワゴン車が居た。
 車体は白だが、運転席側のボンネットから弾ける炎のようなピンク色の模様が薄っすらと描かれている。不良少年が悪趣味な装飾を施したのだと見えた。
「これは良い車よ。日本製だから」
 私はその一言で、この男が本当に外人らしいと決め打った。
「こいつはちゃんと走るの?」
 ボンネットと側面の装甲で、微妙に色が違っていた。そこで私は第一の違和感を抱いた。
 男は「走る、走る」と適当に頷いている。私はあまり相手にはせず、開けっ放しの窓から車内を覗き込んだ。
 内部は砂っぽい灰色で統一されていた。シートは案外綺麗で柔らかそうだったが、運転席の背凭れだけが影を作ったように汚れていた。これが第二の違和感。
 私は窓枠に頬杖をつき、訊ねる。
「この赤黒いしみは何?」
「ケチャップだよ」
 用意してあった答えであるかのように、男はすぐに答えた。私は口の角を引き攣らせた。助手席側のサイドミラーに、私の不気味な笑顔のような表情が映っていた。
 それから一拍の沈黙を置いて、私は肘の下に第三の違和感を覚える。
「ねえ、この車窓硝子無いでしょ」
 男は斜め上に視線を泳がせた後、「解放感が有って良いでしょ。夏は涼しいよ」と言った。
「御嬢さん、どう? 買う? 買わない?」
 やっぱりそういう話になるのか。私は掌で頬の肉を押し潰しながら逡巡した。
 そして、ひひひ、と成る丈怖そうに声を立てると、不出来な絡繰り人形のような仕草で窓から頭を抜いた。
「買います」
「おー、ありがとー! あなた、優しいねぇ」
 男は勝手に私の右手を握り、ぶんぶんと握手をした。
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