お題:知らぬ間のデザイナー 制限時間:1時間 読者:720 人 文字数:2766字

冬の東京、夏の原風景。
その清流の如く時は流れる。
今、出勤時の寝不足の頭を起こすのは、会社から支給された携帯電話のバイブレーターだった。

何故自分が観光広報の仕事についたのかは、分からない。
ただきっと、大学を理由に上京してからずっと、どこか心の中にはあの清流の、自分の中の原風景があった。
「ここはビルだらけでも、北に400km行けばこんな風景と空気があるんだよ」という事を効率的に伝えたかった…という想いがあったのかもしれない。
あったのかも、しれない。
困った事に、もう、学生の頃の新鮮な気持ちは薄れ、消え去っていた。
眼前の仕事をこなし、休日に近くの山へ登る程度で己を慰める日々に慣れ切っていた。
その山ですら、徹底的な田舎である原風景には遠く及ばない、そんな感想すら感じていた。
それでも昔の場所へ戻れないのは、経済的で現実的な理由であり、何とも寂しい理由だと我ながら思う。

地下鉄の出口を出た。
冬の日差しは弱く、明るく、美しいと思えたけど、風に木々の匂いは無い。

オフィスに入れば、雑多に乱れた自分のデスク。
付箋紙が大量に張り付いたモニタを眺め、今日のタスクと今後のタスクを整理していく。
屋久島の森林の写真を壁紙にしていても、届くのはモニタからのRGB情報だけだった。

・・・・・・

昼。近場の定食屋で日替わりを頼み、黙々と胃に入れる。
13時までの曖昧な時間。フラフラと歩けば、旧芝離宮恩賜庭園の木々も葉を落としきっていた。
冬だ、と思うと同時に、この前のスキー関連の仕事や、今の新年関係の仕事を思いだし、僅かに首を振る。
入口から覗けば、雪見灯篭の傍で、座って絵を描く御老人が一名。池でも描いているのだろう。
その光景は己の原風景と、自由帳へ向かう友人の背中を思い出させた。
空を眺める。ビルに囲まれた世界で池を描く画家。友人もあまり遠くない距離で、同じような仕事をしていると聞いた。
たまには酒を飲むのもいいかもしれないな、と思う。

緩く風が流れた。冷気が首元を通り、オフィスへの足取りを速めて行く。

・・・・・・

14時からの定期会議にて、次の特集のネタが決まった。

「日本の原風景」

自分は、友人へメールをする事に決めた。

・・・・・・

夜。騒がしい居酒屋というのはどうにも苦手だ。
ただ、大概にして店に入らないと、その騒がしさの度合いは測れない。
いずれにしても、周囲は酒飲みだらけであり、静寂を求める事自体が場違いなのかもしれないが。

先に店で待つ事5分。
友人は私服で登場した。いつの間にか身長は追い抜かれ、いつの間にか先に結婚されていても、笑顔の作り方は昔と一緒だった。
何年ぶりだっけ、というのがお互いの第一声。
困った事に、記憶を手繰り寄せて導き出した結果は、自分が新人入社した五月以来だった。
自分が初めての仕事で悩んでいる頃に、この友人も同じように東京に出て、イラスト関係の仕事に付いていた。
ベロンベロン酔った挙句、お互い頑張ろうな、と言いあって店を出たのだけを憶えていた。

しばらくは、友人の奥さんの話に話題は終始する。
会った事も無いが、いい奥さんのようだ。何故かよく分からないが、安心した。
そして、地元の話。
隣のばあさんが作った干し柿が、未だに毎年送られてくる事、昔のやんちゃ話が進むたびに、ビールの水位が下がっていく。

どれくらい飲んで、どれくらい話しただろうか。
自分がこんなにも饒舌なのはいつぶりだろうか。
……自分はそんなにも寂しい生活を送っていただろうか。

最初は気に食わなかった店のライティングも、酒さえ入ってしまえば美しく見えた。
友人と話している限り、自分の心はあの原風景の中にいる気持ちがした。
勿論、それは幻想であり虚構であり、現実は目の前の結婚指輪であったり、咥える煙草である事は分かっていた。

地元の話題の中で、ふと自分は数時間前の会議を思いだす。

「今度さ、日本の原風景っていう特集を組むんだよ」

そうだ。今日は半分は友人との飲み会、半分は仕事の相談だった。
だから、という言葉を出す前に、友人は悲しそうに口を開いた。

「その仕事はもう辞めたんだよ」

友人が結婚指輪を触っていた。その指は昔と違って、少しだけ黒ずんでいた。
あの清流が、あの日だまりが、原風景から色が消え、モノクロになっていた。

・・・・・・

その後の事はおぼろげにしか憶えていない。
あまりにも寂しそうにする自分を前に、友人がかなり驚いていたのだけが憶えている。
何でそこまで、と言う友人に、自分は明確な回答を出せてはいなかった。
ただ、途方も無く寂しい想いが胸を占め、洗い流すように、誤魔化すように酒をあおっていた。

目覚まし時計のベルがけたたましく鳴り響く。
今日も無慈悲に出陣の号令は鳴るのだ。機械の如く布団から抜け出し、準備を終え、マンションを出た。
何かが抜け落ちた気持ちがあったが、それが何かを名称付ける気力と理解はなかった。
皮靴の音が、やたら響く。冬の空は雲ひとつなく、爽やかだった。

・・・・・・

結局の所。
自分は「日本の原風景」に対して、あの地元を推す事に決めた。
優しい上司からは、「新鮮だけど、推す部分が少なすぎる。難しければ別のを」と諭された。
ごもっともな意見ではあった。
しかしながら、この後のプレゼンで致命的であれば、自分の企画は落とされるだろう。
あるいは、隅っこに掲載されるような、小さな扱いにされてしまうのだろう。
これではただの、己への禊(みそぎ)じゃないかと思うも、それを正当として断行し続けていた。

グラフィックを写真かイラストか、と悩み、イラストに決めた。
単純に、あの場所の写真なんてのを所持している人があまりに希少だし、撮りにいくのも過酷だからだ。

専用のサイトへイラストを公募する。
これで来なかったら諦めよう。
その場合を考慮して、全く別の、九州辺りの企画立案も並行で進めていく。
そういうリカバリーだけ上手くなったよな、と仕事に慣れきっていた自分に思わず呟く。
その夜。友人にそのサイトのメールを送った事は、酷いエゴだと我ながら分かっていた。

・・・・・・

五日後。締め切りの二日前に、一本のメールが届いた。
簡易なラフスケッチは牧歌的で、柔らかいタッチで、そして何よりも、ヤマメが綺麗に描かれていた。

文章には、業務的な挨拶の後。

「これで最後だからな」

思わず目を瞑った。瞑らざるをえなかった。
椅子に全力で寄り掛かり、頭上へと顔を向けた。

あの原風景に、自分はいた。蝉が大合唱を鳴らす、あの世界にいた。
木漏れ日、清流、水の冷たさを、自分はコンクリートの世界で感じていた。
作者にコメント

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