お題:きちんとした消しゴム 制限時間:2時間 読者:307 人 文字数:1540字

綺麗な消しゴムの確率
「きちんとした消しゴムが筆箱の中に存在する確率について、考えたことはあるか?」
 えらく深刻そうな表情で、ティースプーンで砂糖を沢山入れたコーヒーをかき混ぜながら、モガミくんはそう言った。だから僕も深刻そうな表情で、何を言っているかわからないと答えた。

「解ってる解ってる。だれだってそう答える。けれど大切なことなんだ」
そう言いつつ、モガミくんはティースプーンでひたすらコーヒーをかき混ぜ続ける。ひょっとしてモガミくんはコーヒーが飲めないのかもしれないと、ぼくはふと思った。

「消しゴムっていうものは、新品のうちは綺麗に使おうと丁寧に扱うわけだ、けれど因果なもので、消しゴムは使った瞬間から汚れていく。美しい先の尖った白いフォルムも、使ううちに角が取れて丸みを帯び、鉛筆で落書きされたり、鉛筆で突き刺されたり、真ん中でポッキリ折れて2つになったりする。新品の頃のその姿は見る影もない」
君の筆箱の中の消しゴムを見れば明らかだろう。モガミくんはそんな失礼なことを付け加えた。

「それで、結局きれいな消しゴムが筆箱に存在する確率とやらが、一体どんなに重要なんだよ」
僕は少しぬるくなったコーヒーをちびちび飲み、彼のおごりのショートケーキをこれまたちびちびと食べながら彼に聞いた。本題に至るまで妙な例え話を話すのは、モガミくんの悪い癖だった。いつまでも相槌を打っていたら、いつまでも話が終わらない。モガミくんは暫く口ごもった後、こう話を切り出した。

「この前受講した講座で、斜め前の人が消しゴムを落として、それを俺が拾った。消しゴムは確かに使われた形跡があったけれど、随分ときれいな状態を保っていて、きちんとしていた。流れるような手つきで俺は消しゴムを持ち主に手渡した。彼女は軽く会釈をして、微笑んだ。結局その後講座の内容は頭に入らなかった」
純情なやつめ、ショートケーキのいちごを頬張りながら、ぼくは思った。
「その子には声をかけたのか?」
モガミくんは首を横に振る。

「講座が終わってから、横に座っていた男が親しげに彼女と教室から出て行った。話し掛ける余地なんてまるでなかった」
モガミくんは恋に落ちた瞬間、恋に敗れたらしい。
「俺は消しゴム一つでも綺麗に使うような人が好きだ。けれども消しゴムが綺麗に使われる確率なんてわずかで、しかもそれが意中の人となる確率なんてもっとわずかだ。今日俺はそんな確率が重なる人と出会った」
成る程これは失恋話だったのかと僕が口にすると、モガミくんはちがうと強く否定した。

「諦めるにはまだ早すぎる。隣に座っていた男が親しげに話していたからといって、彼女の彼氏とは限らないだろう。ファーストコンタクトは出会いの衝撃から失敗に終わったけれど、次は上手くやってみせる。だからお前に協力して欲しい」

僕はショートケーキの最後の一口をコーヒーで流し込んだ。モガミくんがこの恋を成就させるかはわからない。けれど、友人がささやかな勇気を振り絞って頼ってくれたという事は、自分にとってもなかなか嬉しい事だった。

「そうはいっても、その消しゴムの想い人に本当の彼氏がいたらどうするんだ」
モガミくんは一瞬たじろいだが、何か決意表明のようにこう答えた。
「彼女に迷惑をかけないという大前提の元、出来る事をやりたいと思う。自分が入り込む余地がなさそうだったら、潔く身を引こう。けれど出来る事があるならやりたい。きれいな消しゴムが筆箱に入っていた、そんな奇跡と出会ったのだ。そう簡単に諦めることなんて出来ない」

そう言いながら、モガミくんは筆箱から自分の消しゴムを取り出した。その消しゴムは使い込まれている様子なのに、随分ときれいな状態を保っていた。
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