お題:騙された紳士 制限時間:2時間 読者:640 人 文字数:2823字

濡れ鼠にご用心
『濡れ鼠にご用心』



大雨の降り注ぐ晩夏の夜、ずぶ濡れの少女はうずくまっていた。
所持品は、纏っている衣類以外になく、ただ暗雲の広がる空を睨むように見上げていた。

「風邪を引かれますよ?」

ふと、雨が止んだ。
気が付くと、少女の視界には若い男の顔があった。
とても優しそうな、それでいて端正な顔立ち。
着ている物はなかなか高級そうで、長く黒いコートは男を闇に紛れさせようとしている。

「女性がこのようなところで一人で・・・・それに、身体も冷えてしまっているでしょう。
 近くに私の家がありますから、どうかそちらで休まれて下さい。」

少女を憐れんだその紳士は、少女の前にしゃがみ込み、持っていた傘を傾けた。
しかし、少女の足元をよく見ると、靴どころか靴下すら穿いていなかった。
細く小さな足で地面を歩かせることなど、男の良心が許すはずもなく。

「失礼します。」

全身が雨で濡れ、冷え切ってしまった少女の身体を、包むように抱える。
少女は力なく男にされるがまま、男の家へと連れられて行った。



男の家は、とある高級マンションの一室だった。
床が濡れようとも関係なく、男は少女を、まず浴室へ連れて行った。
少女は疲れているのか、へたりと洗い場に座り込む。
男はコートを脱ぎ、少女のためにバスタオルを用意しようとした。

『・・・お湯に、浸かりたい。』

出逢ってから一度も開かれていなかった少女の口が、唐突に動いた。
確かに、浴槽にお湯は張ってある。
冷えている身体を温めたいと、初めて自分の意志を示したのだろう。
どこか悲しげで無表情の少女に、男は紳士的に返す。

「わかりました。タオルと着替えを用意しておきますので、ご自由になさってください。
 あぁそれと、脱いだ衣類はこちらのカゴにお入れください。」

名も知らぬ少女へ、男は献身的なまでに優しく接した。
座り込んでいた少女がゆっくりと浴室の扉を閉める。
男は、少女を連れ込んだ際に濡れた床を拭き、自分の服を着替えた。
そして、少女が入浴を終える前に、バスタオルと適当な着替えを用意した。
男に、人助け以外の他意はなかった。
これからの少女の処遇など、考えておこうという意志すらなく。



男がリビングにいると、浴室の扉が開かれる音がした。
どうやら、少女が入浴を終えたらしい。
夕食はすでに二人分用意されている。
やがて、少女が脱衣場の扉を開き、姿を現した。

『指に力が入らなくて・・・ボタンを、かけられなくて・・・・・・』

脱衣場を出た少女は、男が用意したパジャマの上着を羽織った状態だった。
頭からバスタオルを被っているものの、たわわな胸が今にも露出しそうである。
男は多少動揺したものの、落ち着いて少女の前へ行き、パジャマのボタンに手をかける。
下心が無いわけではないが、か弱い少女に手を出すほど下郎ではない。
1つずつ、掛け違えのないように、下からボタンを留めてゆく。

『・・・・・ふふっ』

「?」

ふと、少女が笑みをこぼした。
ボタンはあと3つ残っており、放置すれば肌蹴かねない状態である。
不思議に思った男が少女の方へと視線を上げた、その刹那。

「っ!?」

『お兄さん、小娘には欲情しない人?』

悪戯な笑みを浮かべた少女が男の手を掴み、自らの胸へと誘導した。
突然訪れた柔らかい感触と衝撃に、男は動揺を隠せず、固まってしまった。
紳士的な男には、少女を振り払うことができない。
パジャマ越しではなく、わざわざ直接柔肌を触れさせられている。
男は、少女の行動の意図がわからなかった。

『ねぇ、女の人とこういう経験、ないの?』

「・・・残念ながら、このような経験は・・・」

『ふぅん。じゃあ、こうしても興奮しないんだ?』

「っ!」

少女は、自らの胸を揉ませるように、男の手を動かした。
指に力が入らないとは、嘘だったらしい。
男から目を逸らさず、ただ男性が欲情するであろうという行動を起こす少女。
理性を必死に保っていた男は、少女が出した問いに答えた。

「私とて、一介の男というものです。興奮・欲情、そういったものは感じられます。」

『私にも?』

「えぇ、もちろん。麗しい少女の肢体に直接触れるなど、非道徳的ですから。」

『ふふふっ、お兄さんって、思いのほか普通の人。でも、変わってる。』

少女は男の手を離し、ひらりと男に背を向ける。
男の手には、少女の胸の感触がまだ残っているようだった。
自分でパジャマのボタンを留めた少女は、改めて男の方へ向き直る。

『私、探してたの。本当に優しい人。最近の金持ちは駄目ね。全然紳士じゃないもの』

先ほどまでの、無表情でか弱い少女はどこへいったのか。
小悪魔のようで、それでいて憎めないほど愛らしい少女が、今目の前にいる。
よく見れば、男はその顔に見覚えがあった。
直接会ったことがあるわけではないが、写真か何かで見たことがある。

『お見合いじゃその人の素性ってわからないから、毎回身体張って確かめてたけど。
 お兄さんは本当に良い人みたいね。』

少女の言葉に、男はようやく思い出した。
男の務める会社に投資している、大企業の社長の娘。
つまりは、どこぞの御令嬢である。
渡されていた見合い写真に映っていた、まさにその少女だった。

『さすがに家出少女みたいだったでしょ?私、演技は得意なの。』

「い、いつも、あのようなことを・・・?」

『うん。お見合いする相手の帰路に、ああやって佇んでみてる。
 助けてくれたのはお兄さんで十数人目で、欲情しなかったのはお兄さんだけ。
 でも、もうこういうこともお見合いもしないわ。』

不意を大きく突かれた男は、平静さを保つのがやっとだった。
拾った濡れ鼠は、挑発的な笑みを浮かべて衣服を脱ぎ捨てていく。

『今日は体を許してあげることはできないけれど、抱きしめるぐらいならいいよ。
 むしろ、私がぎゅぅってしてほしいから、ね?』

一糸纏わぬ姿となった少女が、男にそっと抱きついた。
少女に体が無い事を察した男は、理性を飛ばすことなく、優しく少女を抱きしめ返す。


――――――――騙された。


思わずそう納得してしまった男は、少女への敗北感に笑みをこぼした。
そして男は、風邪を引いてしまわないようにと、自分が着ていたシャツを少女に羽織らせた。

『紳士な人。まるで天使みたい。』

「そう言うあなたは、濡れ鼠の振りをした、とても可愛らしい小悪魔です。
 まんまと騙されました。」

『クスッ、そうね。悪くないわ。』

男の表現を気に入った少女は、男の首に手を回し、そっと唇を合わせた。
少女の大胆な行動を、男は黙って受け入れ、その感触に酔いしれた。
大雨はいつの間にか止み、静かに夜は更けていった。





The End.
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